- 伊藤かずえ若い頃の伝説エピソード14選
- 伝説エピソード① 芸能界入りのきっかけは内気な性格と母親の存在だった
- 伝説エピソード② 12歳のときに神奈かずえの芸名でレコードデビューしていた
- 伝説エピソード③ 伊藤和枝という名前で映画『花街の母』に初出演していた
- 伝説エピソード④ テレビドラマ初出演は『江戸を斬るVI』だった
- 伝説エピソード⑤ 15歳のときに映画『燃える勇者』のオーデションで応募者約2万人の中から選ばれて真田広之と共にW主演を務めた
- 伝説エピソード⑥ アイドル歌手としてデビューもしていた
- 伝説エピソード⑦ ツッパリ少女役として人気で大映ドラマのレギュラー的存在だった
- 伝説エピソード⑧ 19歳で念願の初主演を果たしていた
- 伝説エピソード⑨ 志穂美悦子に憧れてアクションの鍛錬をしていたが運動神経は良くなかった
- 伝説エピソード⑩ 所属事務所のギャラが安く堀ちえみの紹介でホリプロに移籍していた
- 伝説エピソード⑪ 洋裁が得意で(笑っていいとも)には自作の服で登場したほどだった
- 伝説エピソード⑫ 愛車はシーマでヤンキー色が濃かった
- 伝説エピソード⑬ 伊藤麻衣子、比企理恵 、南野陽子、田中美奈子とは仲良しで長年の交流がある
- 伝説エピソード⑭ お酒が好きで酒豪でもある
- 伊藤かずえ10代の出演作品をプレイバック
- 伊藤かずえ20代の出演作品をプレイバック
- 伊藤かずえの若い頃のカワイイ画像特集
- 伊藤かずえの若い頃のネットの声
- 伊藤かずえさんに関連する人物の記事
伊藤かずえ若い頃の伝説エピソード14選
- 芸能界入りのきっかけは内気な性格と母親の存在だった
- 12歳のときに神奈かずえの芸名でレコードデビューしていた
- 伊藤和枝という名前で映画『花街の母』に初出演していた
- テレビドラマ初出演は『江戸を斬るVI』だった
- 15歳のときに映画『燃える勇者』のオーデションで応募者約2万人の中から選ばれて真田広之と共にW主演を務めた
- アイドル歌手としてデビューもしていた
- ツッパリ少女役として人気で大映ドラマのレギュラー的存在だった
- 19歳で念願の初主演を果たしていた
- 志穂美悦子に憧れてアクションの鍛錬をしていたが運動神経は良くなかった
- 所属事務所のギャラが安く堀ちえみの紹介でホリプロに移籍していた
- 洋裁が得意で(笑っていいとも)には自作の服で登場したほどだった
- 愛車はシーマでヤンキー色が濃かった
- いとうまい子、比企理恵 、南野陽子、田中美奈子とは仲良しで長年の交流がある
- お酒が好きで酒豪でもある
スポンサーリンク
伝説エピソード① 芸能界入りのきっかけは内気な性格と母親の存在だった
若い頃の伊藤かずえさんは内気だった
内気な小学生が、輝くスターへの第一歩を踏み出す
伊藤かずえさんは、北海道で生まれました。お父さんはお菓子屋さんに勤めていて幼い頃は、お父さんのお菓子屋さんに行ってお菓子をもらうのが楽しみだったという。
その後、お父さんの転勤で家族で横浜に引っ越し、お父さんは日産自動車の整備士となりました。
幼い頃、伊藤かずえさんは内気な性格で、人前に立つことを苦手としていた。
そんな彼女を心配した母親は、ある日、東映児童研修所への入所を勧めた。
最初は戸惑いを隠せなかった伊藤かずえさんだったが、母親の温かい励ましに背中を押され、新たな世界への扉を開けることを決意する。
習い事の感覚でお母さんが薦めた入団だったが、お芝居だけではなかった。
歌、バレー、パントマイム、どれも幼いかずえさんには、楽しかったという。
そして、「お芝居が好き」そんな気持ちがどんどん膨らんでいった。
1973年: 仮面ライダーV3 子役エキストラ 7歳
1974年: がんばれ!!ロボコン 子役エキストラ 8歳
1975年: 仮面ライダーストロンガー子役エキストラ 9歳
1975年: 秘密戦隊ゴレンジャー 子役エキストラ 9歳
スポンサーリンク
伝説エピソード② 12歳のときに神奈かずえの芸名でレコードデビューしていた
1978年、7月。まだ12歳だった伊藤かずえさんは、”神奈かずえ”の芸名で歌手デビューを果たした。クラウンレコードから発売されたシングル「ひとりぽっちの村祭り」は、少女の瑞々しい歌声が光る、初々しい作品だった。
彼女の持ち前の明るさと前向きさを表現したような、軽快なメロディーと歌詞が印象的な楽曲だ。
当時12歳という年齢とは思えない、力強く伸びやかな歌声で、周囲の人を驚かせた。
このレコードデビューは、伊藤かずえさんにとって夢への第一歩と言えるだろう。
女優として、歌手として、輝かしい未来を歩み始める。
伝説エピソード③ 伊藤和枝という名前で映画『花街の母』に初出演していた
残念ながら、私が調べた範囲では、伊藤和枝さんとして映画『花街の母』に初出演!という情報しかわかりませんでした。
『花街の母』は1979年に公開された映画で、伊藤和枝さんは当時13歳でした。まだ幼かったため、何か子役での出演だと思われます。また、映画自体も公開当時に関する情報が少なく役柄なども不明です。
しかし、伊藤和枝さんはこの映画でデビューし、その後人気女優へと成長しました。
『花街の母』での経験は、彼女にとってかけがえのないものだったと言えるでしょう。
もし、伊藤和枝さんが映画『花街の母』について語っている情報を見つけたら、改めてお知らせします。
スポンサーリンク
伝説エピソード④ テレビドラマ初出演は『江戸を斬るVI』だった
1981年:テレビの時代劇にゲスト出演が決まりました。当時15歳。
「江戸を斬るVI」の16話では、涙を流しながら長い台詞を言う難しい役だったと言います。
そして、この役が「水戸黄門」の事実上のオーディションでもあったと言う。
芝居をしながら、オーディションされるとは、すごいですね。
もちろん、見事合格!「水戸黄門」のレギュラーになって知名度を上げていきます。
伝説エピソード⑤ 15歳のときに映画『燃える勇者』のオーデションで応募者約2万人の中から選ばれて真田広之と共にW主演を務めた
1981年、映画「燃える勇者」のオーデションで応募者約2万人の中から選ばれ、真田広之と共にW主演を務めた
伊藤かずえさんが当時を振り返り、コメントしています。
オーデション
約2万人の応募者の中から選ばれたオーデションについて、伊藤さんは「信じられませんでした。本当に夢のようです。」と語っています。
審査員の前で芝居をしたり、とても緊張しました。
水着審査もあって、水着のまま芝居したりもありました。本当に緊張しました。
真田広之さんとの共演
真田広之さんについて、伊藤かずえさんは「とても優しくて、演技のことをたくさん教えてくれました。」と語っています。
撮影
「撮影は大変だったものの、とても楽しかった」と語っています。特に、アクションシーンは印象に残っているようです。
映画公開
映画公開当時は、まだ15歳だったため、「街中で自分の顔を見るのが恥ずかしかった」と語っています。
スポンサーリンク
伝説エピソード⑥ アイドル歌手としてデビューもしていた
1982年/4月 「哀愁プロフィール」 16歳
映画「燃える勇者」で注目を集めた伊藤かずえさんは、レコード会社からのオファーがあり、アイドル全盛期時代に歌を出すことになったと言う。
1982年/8月 「風と光のスニーカー」 16歳
1983年/3月 Air-mailの最後に 17歳
1983年/4月 悪魔の花嫁 17歳
1983年/7月 ファースト・ベルを聴かせて 17歳
1984年/2月 ヨコハマ LONELY CAT 18歳
1985年/1月 17歳のテロル 19歳
1985年/9月 RUNAWAY 19歳
1986年/5月 ぼっくん!キミがいなきゃ 20歳
1986年/7月 あ・な・た・にアムール 20歳
1986年/10月 彼女の彼 20歳
伝説エピソード⑦ ツッパリ少女役として人気で大映ドラマのレギュラー的存在だった
伊藤かずえさんと言えば、16歳から21さいくらまで、大映ドラマのレギュラー的存在でした。
かずえさんは少年院にいる役で出番も少なく、すぐに終わると聞いていたそうです。
伊藤かずえさんが大映ドラマでツッパリ少女役として人気を集め、レギュラー的存在となったのは、この「不良少女と呼ばれて」がきっかけでした。
このドラマで「長沢真琴役」の伊藤かずえさんは、当時の若者たちの共感を呼び、社会現象となるほどのブームを起こし一躍時の人となりました。
その話の中には伊藤かずえさんが演技した富田圭子は実在していません。
原作のままだと、男のスポーツ根性物語なドラマに、伊藤かずえさんが加わり「謎の少女」の役をしてドラマの雰囲気を変えています。
ラグビーが主体のこの作品は、伊藤かずえさんにとって「出番が少ないので楽だった」と語っています。
実は、真田裕之さんとの映画「「燃える勇者」の時に、牧場の娘で馬も飼っていたので馬に乗れる設定だったと言う。
台本をもらった時に、「これはまずい乗馬、習わないとダメだ!」と思った。
役作りのために、一番近かった秦野の乗馬クラブに通って、一週間で一応乗れる程度のレベルになって、撮影したと話す。
撮影用の馬は、「カチンコ」などでも驚くことがなく、馬に乗るシーンの撮影が終わった時にはホッとしました。
当時、売れっ子で掛け持ちで色々な役をやっていたので大変だったことでしょう。
当時、伊藤かずえさんが出演ドラマは、視聴率が上がりました。
代表作
「スクール☆ウォーズ」(1984年:18歳)
「乳姉妹」(1985年:19歳)
「ポニーテールは振り向かない」(1985年:19歳)
その他
上記以外にも、数多くのドラマに出演しました。
「不良少女と呼ばれて」の成功以降、伊藤かずえさんは大映ドラマの常連女優として活躍しました。
かずえさんは、その美貌と演技力で多くのファンを魅了し、特に「ツッパリ少女役」はハマり役であり、そのイメージが定着しました。
大映ドラマの黄金時代を支えた功労者の一人と言えるでしょう。
スポンサーリンク
伝説エピソード⑧ 19歳で念願の初主演を果たしていた
伊藤かずえの、若い頃の初主演ドラマは「ポニーテールは振り向かない」だった。
19歳で念願の初主演
1985年、伊藤かずえさんは19歳で念願の初主演を果たします。
当時、大映ドラマでツッパリ少女役として人気を集めており、多くのファンから注目されていたかずえさん。
このドラマで、どんな演技を見せてくれるのか!ファンの期待も大きくなっていったことでしょう。
物語はミッキー「伊藤かずえさん」が少年院を出るところから始まります。
ドラマー一家の父子家庭で育った少女が傷害事件を起こし少年院に入りドラマーの道を志、ロックバンドを結成するまでの過程を描いています。
当時、伊藤かずえさんはドラマ「乳姉妹」残りと、 「ポニーテールは振り向かない」の撮影開始が1ヶ月くらいかぶって忙しかったことをあかしています。
「ポニーテールは振り向かない」ではステックを使いこなしたり、ドラムをたたいたりするのですが、なかなか練習する時間がなくてスタッフさんが食事中とか「悪いなぁ」と思いながらもドラムの練習をしていたと語っていたす。
下手くそだし、ドラムってうるさいでしょ。きっとお昼の弁当を食べながら耐えてくれてたと思いますよ。と当時を振り返る。
これまでのツッパリ少女役とは異なる、新たな一面を披露しました。
伝説エピソード⑨ 志穂美悦子に憧れてアクションの鍛錬をしていたが運動神経は良くなかった
伊藤かずえさんの運動神経:アクションシーンの裏側
伊藤かずえさんは、ドラマや映画で披露するアクションシーンがありますが、実は本人は「運動神経は良くない」と語っているんです。
なぜ彼女はあんなに格好良いアクションをこなせるのでしょうか?
その理由は、幼い頃から憧れていた志穂美悦子さんの影響で、地道な努力を重ねてきたからです。
具体的には、
幼い頃からアクションシーンに挑んでいた
現在もアクション関係の道場に通っている
これらの努力が実を結び、
大映ドラマ「スクール☆ウォーズ」では、伊藤かずえさん演じる富田圭子が馬に乗って不良たちを蹴散らすシーン
大映ドラマ「ポニーテールはふり向かない」では、伊藤かずえさん演じる麻生未記がドラムスティックを武器にしてヤクザと格闘する場面
など、話題になったアクションシーンを演じることができました。
運動神経は良くなくても、努力でここまでできるという伊藤かずえさんを見習いたいですね!
スポンサーリンク
伝説エピソード⑩ 所属事務所のギャラが安く堀ちえみの紹介でホリプロに移籍していた
伊藤かずえさんは、1986年(当時:20歳)の時「花嫁衣装は誰が着る」で共演した堀ちえみさんとの何気ない会話から事務所移籍に至ります。
新潟県の佐渡島でのロケの時に、旅館の部屋が隣同士になり、色々と深い話をしたと言う。
その中の一つに、当時小さい事務所に所属していた伊藤かずえさんが
「毎月固定給で6万ー9万なの、主役もやっているのに少なくない?10万もらったことがないんだ!
こんなんじゃ続けていけないよ!」と、ちえみさんにもらしたことから始まった。
ちえみさんが心配して「それはおかしい!」
話は、これで終わらなかった。
ちえみさんは、自身の所属しているホリプロの社長に、伊藤かずえさんを紹介したのだった。
当時を振り返り、ちえみさんは「住んでるところ・・これからどうしよう」「高校行けない」
そんな話を、佐渡の海を見ながら聞いていたら悲しくなって・・・と語った。
当時のかずえさんは、安い固定給のため、住まいもスタジオまでの移動時間がかかったと言う。
かずえさんも、あの時に事務所を変わったおかげで、収入も増えてちえみさんには本当に感謝していると笑顔で語っています。
当時は、「堀ちえみちゃんを、そんなにいじめないでください!」とたくさんの手紙が来たそうです。
そに前も、「伊藤麻衣子ちゃんをいじめるな!」って来ました。
役なんですけど・・・って言いたかった。と語りました。
ちえみさんが笑顔で「シーマが買えて良かったね。」と言った。
伊藤かずえさんが、堀ちえみさんをとことんいじめ抜くストーリー
裏では、違う二人として過ごしていたんですね。
スポンサーリンク
伝説エピソード⑪ 洋裁が得意で(笑っていいとも)には自作の服で登場したほどだった
(15歳での出演)
(20歳での出演)
この服が自作かは不明ですが、「自作の服で登場していた」と、ご本人のコメントもあります。
洋裁歴
伊藤かずえさんは、小学生時代から洋裁が好きで20歳くらいの時に母親からミシンをプレゼントされた。その後、趣味として洋裁を続け、今ではかなりの腕前です。
「女優の仕事はいつまで続くかわからない!」そんな気持ちで手に職を付けたいと思い、文化服装学院の通信教育で、パタンナーの技術を習得した。
得意な服
若い頃は、子供服や元旦那さんの衣装まで、手がけたそうです。(現在は独身)
元SIAM SHADEのベーシストNATCHINが伊藤かずえさんの元旦那さん。彼女は単なる主婦ではなく、夫のライブ衣装を手掛ける才能あふれる“スタイリスト”でもあった。
趣味の範囲を超えてすごいですね。
自身のワンピースやドレス、スーツなど、様々な種類の服を作ることができます。
特に自身の服にはこだわりやアイディアが詰まってます。当時の服はあまり残されてなく貴重な一部を紹介してます。
縦に伸ばすか、横に伸ばすかなど、生地の伸縮性を考えて裁断するという。
この服は、斜めに裁断することで、背中側が伸びてファスナーがなくても着脱が楽だと語る。
また、ファスナーがない分縫うのも簡単だと笑顔で話してます。
こだわり
伊藤かずえさんは、生地選びからパターンメイキング、縫製まで、全て丁寧に行っています。
また、自分の体形にぴったり合う服を作るために、採寸にも力を入れるそうです。
パターンがおこせるようになってから、ますます洋裁が好きになったそうです。
「この作品の、一回り小さいサイズを作って「(笑っていいとも)に出演した時に、会場に妊婦さんがいたので、プレゼントしました。ちょうど、持っていたんです。」と語っています。
スポンサーリンク
伝説エピソード⑫ 愛車はシーマでヤンキー色が濃かった
19歳で車の免許を取って、初めて乗った車は、父親の「スタンザ」だった。
伊藤かずえさん自身が、初めて購入した車は日産の「エクサ」です。
その後、購入したのが「ローレル」次が「エルグランド」そして「ティアナ」に乗り。
最後が現在の「シーマ」となります。
「スカG」と言って暴走族の族車としても人気の車でした。
初めはそこまで「シーマが好き!好き!」ではなかったようです。
1988年代に発売された3ナンバーの高級セダン。
かずえさんは、「当時CMでのお金で購入した、500万円くらいでした。」と語っています。
車に関して詳しくて、もはや体の一部であり、どのあたりでハンドルをきればいいか分かるのでバックモニターなども必要ないと語る。
車のエンジンをかけた時の「ブルルルッ!」と言うエンジン音がとても好きです。
ガソリン車特有の音と微妙な振動がたまらなく好き!
ガソリンはハイオク、満タンで70Lは入る。
がかずえさんは、ガソリンメーターをて、1目盛減ると補充すると言う徹底ぶり。
タンクのガソリンがなくなる手前まで、ガソリンの補充をしない人多いけど、私は常にタンクは満タンにして乾かないように中を潤していたい。
そんな数々のこだわりが、かずえさんと昔の「ツッパリ役」が重なりヤンキー車を乗り回しているイメージに繋がったのでしょうか。
日産シーマは、1988年の発売以来、高級セダンとして人気を博してきましたが、暴走族の中ではそれほど人気車種とは言えませんでした。(一部の方は改造されたりしています。)
伊藤かずえさんのシーマには、ヤンキーとして乗っている要素は見られません。
ただ、車に関して男気があります。
シーマは当時、新車価格で500万円を超える高級車でした。暴走族は一般的に学生や若年労働者が多い層であり、高額なシーマを購入することは経済的に困難だったと考えられます。
シーマは、高級志向の強い車であり、暴走族が好むヤンチャなイメージとは異なっていました。また、シーマは車体が大きく重いため、峠道などの狭い道を走るのに適していませんでした。
スポンサーリンク
伝説エピソード⑬ 伊藤麻衣子、比企理恵 、南野陽子、田中美奈子とは仲良しで長年の交流がある
伊藤かずえの若い頃の友人は今も交流がある
伊藤麻衣子さんとの出会い
伊藤麻衣子さんとの出会いは、「高校生夫婦」だったと言うかずえさん。
当時は、皆んなでワイワイ撮影していたが、自分は一人でいるシーンが多かったと言う。
実際に麻衣子さんと仲良くなったのは、「不良少女と呼ばれて」がきっかけ自分より年上の麻衣子さんをお姉さんのようにしたっていた。
しかし、彼女の胸には、別の夢が秘められていました。
それは、女優になるという強い意志でした。
「アイドルが本当に嫌だった」と言います。
あの運命のドラマ「不良少女と呼ばれて」に出演しますが…
実は最初、主役は別の女優さんに決まっていたといいます。
「でも、どうしてもやりたくてプロデューサーに電話したの。モヒカンでも坊主でもやりますって」と、かずえさんも驚くウラ話があった。そして二人は2度目の出会いをする。
背が高い自分(伊藤かずえさん)の方がお姉さんに見えますが、麻衣子ちゃんの方が年上で、性格もアネゴ的で、仕事と学校で忙しくしていた私の良き理解者です。演技以外でもプライベートの話もよくしました。
家族や友達よりも一緒にいる時間が長かったんです。お互いに少しずつ違う道も歩み始めましたが今でも付き合いは続いています。
今も良き相談相手だと、かずえさんは語った。
比企理恵さんとの出会い
比企理恵さんとの出会いもまた、高校聖夫婦だったが、あまり話をする機会がなかった。
撮影を一緒にやるシーンが少なかったです。
やはり、「不良少女と呼ばれて」で皆んなと仲良くなって言った。
昼休みには、スタジオの近くにあったファミレスに皆んなで行ったんです。
皆んなあのスケバンの化粧なんですよ!初めは店員さんに驚かれましたがしだいになれたと言うか・・・。とても忙しくて、とても楽しい時間だった振り返りました。
南野陽子さんとの出会い
伊藤かずえさんと南野陽子さんの出会いは、残念ながら公開されている情報では特定できません。
確かに、ドラマでの共演歴は見当たりませんし、具体的なエピソードも公表されていないようです。
しかし、2人が親交があることは、伊藤かずえさんのブログや南野陽子さんのインタビューなどで語られています。
考えられる出会いとしては
共通の友人を通じて: 80年代に活躍していたアイドルや女優は、仕事やプライベートで交流する機会が多かったため、その中で知り合った可能性があります。
芸能界のイベント: 各種の授賞式やイベントで顔を合わせ、意気投合した可能性もあります。
プライベートな場所: 六本木や銀座など、当時タレントがよく集まっていた場所で偶然出会った可能性も考えられます。
現時点では推測の域を出ませんが、2人とも1980年代にブレイクした人気アイドルであり、同世代であることから、共通点が多く、自然と親しくなったのではないでしょうか。
今でも仲の良い二人です。
田中美奈子さんとの出会い
初共演は、「スクールコップ」での「夏休みの事件簿帳」に信子役で出演したときでした。
役としては、1話のみの出演でした。まだ「涙の太陽」でデビューする前で知名度もなった頃です。
ドラマ「もう誰も愛さない」で、田中美奈子さんと伊藤かずえさんは2度目の共演をしました。
「もう誰も愛さない」は、ジェットコースタードラマと呼ばれるほど、ストーリー展開がめまぐるしく、衝撃的なシーンも多かった作品です。
田中美奈子さんと伊藤かずえさんは、このドラマでの共演をきっかけに親交を深めたと言われています。
30年以上経った現在も、仲良しの女優として知られています。
スポンサーリンク
伝説エピソード⑭ お酒が好きで酒豪でもある
伊藤かずえは若い頃から酒豪である自身でも「自分は最強です」と言う。
女優・伊藤かずえ、驚異の酒豪伝説が明らかに!
ダウンタウンDXで明かされた衝撃のエピソードに、スタジオは爆笑に包まれた。
「お酒大好き芸能人!酔いどれライフ」という企画で、ゲストたちの酒豪伝説が次々と語られる中、俳優・松村雄基から伊藤かずえに関する驚きのタレコミが飛び出した。
「以前、金山一彦さんたちと散々飲んだ次の日、仕事終わりに、かずえ宅で2日連続の飲み会が開かれたのですが…」
撮影後ということもあり、参加者たちはバタバタと潰れて寝てしまうなか、伊藤だけはガンガン飲み続け、ほぼシラフ状態だったという。
その驚異的な飲みっぷりは「ザル」を超えた「ワク」と称され、「伊藤わくえ」の愛称で呼ばれていたほどだ。
照れ笑いしながら伊藤は「今はそうでもないですけど、20代は最強でしたね」と振り返った。
まさに伝説の酒豪の名にふさわしい、驚異的なエピソードであった。
スポンサーリンク
伊藤かずえ10代の出演作品をプレイバック
1981年:「江戸を斬るVI」(第16話・白洲に哭いた父ふたり)
おりん役 15歳
1981年:「水戸黄門」(第12部・第14話~第27話)
千鶴役 15歳
1981年:映画「燃える勇者」で真田広之と共にW主演
坂本和代役 15歳
1982年:「夫婦」
立花初子役 16歳
1982年:「ねらわれた学園」
高見沢みちる役 16歳
1982年:「他人家族」
榊絵美役 16歳
1983年:「高校聖夫婦 」
杉田あゆみ役 17歳
1984年:「少女が大人になる時 その細き道」
海野明子役 18歳
1984年:「不良少女とよばれて」
長沢真琴役 18歳
1984年:「スクール☆ウォーズ」
富田圭子役 18歳
1985年:「乳姉妹」
大丸千鶴子役 19歳
1985年:「ポニーテールはふり向かない」
主演・麻生未記役 19歳
スポンサーリンク
伊藤かずえ20代の出演作品をプレイバック
1986年:[映画]BE FREE!
島本圭子役 20歳
1986年:花嫁衣裳は誰が着る
相良みさ子役 20歳
1986年:もりもりぼっくん
ゲスト出演・本人役 20歳
1986年:ザ・スクールコップ
ケイコ役 20歳
1986年:おんな風林火山
菊姫役 20歳
1987年:赤ちゃんに乾杯!
佐久間杏子役 21歳
1987年:男が泣かない夜はない
筒井まさみ役 21歳
1986年:[映画]BU・SU
揚羽役 21歳
1987年:[映画]本場ぢょしこうマニュアル初恋微熱篇
風間夕子役 21歳
1987年:[映画]アイドルを探せ
甘露役 21歳
1988年:空に星があるように
島友紀役 22歳
1989年:[映画]走れジュリー
23歳
1990年:[映画]彼女が水着にきがえたら
石井恭世役 24歳
1991年:もう誰も愛さない
町田玲子役 25歳
1991年:世にも奇妙な物語
「峠の茶屋」主演・中村直美役 25歳
1991年:[映画]ハネムーンは無人島
主演・水島かほり役 25歳
1992年:私の生徒は12人
主演 26歳
1992年:HOTEL 第2シリーズ
影山涼子役 26歳
1993年:愛するということ
松田あおい 27歳
1993年:サスペンス・明日の13章「変身もう一人の私」
長崎さとみ・水田玲子(二役) 27歳
スポンサーリンク
伊藤かずえの若い頃のカワイイ画像特集
80年代の伊藤かずえさんはいつ見ても若々しく可愛らしい女優さんです。そんな伊藤かずえさんの、特におすすめの可愛い画像をいくつかご紹介します。
まるで天使のような可愛らしさです。
15歳で受けたオーディションで見せた キュートなだけでなく、どこかチャーミングな魅力も漂っている笑顔です。
スポンサーリンク
伊藤かずえの若い頃のネットの声
若い頃の、伊藤かずえさんについてSNSでもとても可愛い、美人だと言われています。
そんな投稿の一部を、紹介しますね。
彼女が水着に着替えたらを見た感想。原田知世の水着は可愛かった。内容はとにかく水上スキーに乗った悪い奴らからボートで逃げ続けてダイビングしながら織田裕二と原田知世がキスする話。つまんなかったけど若い頃の伊藤かずえ田中美佐子はめっちゃ可愛い。最後にサザンの曲神
— は り ま (@Jyuusin_17) March 30, 2018
若い頃の伊藤かずえめちゃくちゃ美人でたまげた
— 本郷猛 (@HATAKIOTOSU) February 2, 2017
大映ドラマと伊藤かずえは切っても切れないからなぁw
今でも美人さんだが若い頃から美人だわ#アメトーーク#スクールウォーズ芸人— コントムカムカ (@rapiecage99) February 2, 2017
スポンサーリンク
伊藤かずえさんに関連する人物の記事
80年代を彩った青春ドラマの女王、伊藤かずえさん。 彼女の代表作と言えば、やはり「不良少女と呼ばれて」でしょう。
伊藤さんと松村さんは、「不良少女と呼ばれて」以外にも多くの大映ドラマで共演しています。 二人の息の合った演技は、まさに「黄金コンビ」と言えるでしょう。
松村雄基さんの記事も合わせてご覧下さい。
伊藤かずえさんとは、若い頃から現在も交流があると言われる女優の南野陽子さんの記事も合わせてご覧ください。
大映ドラマで共演をした小沢仁志さんの記事も合わせてご覧ください。
コメント