【画像119枚】南野陽子の若い頃の伝説エピソード21選!デビューのきっかけは勘違いだった?

【画像119枚】南野陽子の若い頃の伝説エピソード21選!デビューのきっかけは勘違いだった? 芸能
  1. 南野陽子の伝説エピソード21選
    1. 伝説エピソード① 友人と公開番組を観覧したときスカウトされる
    2. 伝説エピソード② 級友からお別れのカードを贈られやむなく上京した
    3. 伝説エピソード③ CBSソニーのオーディションを受け、ドラマ「名門私立女子高校」で芸能界デビュー
    4. 伝説エピソード④ 18歳の誕生日に歌手デビュー
    5. 伝説エピソード⑤ デビューした時、「3年間は男の子と口をきかない」と自身で決めた
    6. 伝説エピソード⑥ 週刊少年マガジンで、いきなり36ページの巻頭ページを飾る。
    7. 伝説エピソード⑦ 18歳で日生劇場で舞台デビュー
    8. 伝説エピソード⑧ ドラマで演じた、主人公での決め台詞が大流行した
    9. 伝説エピソード⑨ ラジオを担当し、アイドル番組史上最も人気の番組になった。
    10. 伝説エピソード⑩ 映画の主演を果たし、その主題歌で初のオリコンチャート第1位を獲得
    11. 伝説エピソード⑪ テレビ局のスタッフもざわついた南野陽子の容姿
    12. 伝説エピソード⑫ 「カリスマアイドル」「ナンバーワン・アイドル」と称される活躍を示す。
    13. 伝説エピソード⑬ 南野陽子の衣装が評判で卒業式や成人式に女子が大正ロマン風になる
    14. 伝説エピソード⑭ 21歳でNHK大河ドラマに出演、1人2役を演じ最高記録を塗り替え、”ナンノ現象”と呼ばれた
    15. 伝説エピソード⑮ ハードスケジュールから入院し病院からテレビ局に通っていた
    16. 伝説エピソード⑯ 多数の企業のイメージキャラクターに起用されCMに出演
    17. 伝説エピソード⑰ 「世界のスター切手」で日本のスターとして切手の題材となる
    18. 伝説エピソード⑱ 所属事務所から独立、個人事務所を設立した
    19. 伝説エピソード⑲ 80年代後半に最も活躍した女性アイドルの四天王の一人だった
    20. 伝説エピソード⑳ 新曲の発売時に歌番組で着用する衣装を自らデザインしていた
    21. 伝説エピソード㉑ 25歳で歌手活動休止、女優業に専念。
  2. 南野陽子の10代の出演作品をプレイバック
  3. 南野陽子の20代の出演作品をプレイバック
  4. 南野陽子の若い頃のカワイイ画像特集
  5. 南野陽子の若い頃のネットの声
  6. 南野陽子に関連する人物の記事

南野陽子の伝説エピソード21選

  1. 友人と公開番組を観覧したときスカウトされる
  2. 級友からお別れのカードを贈られやむなく上京した
  3. CBSソニーのオーディションを受け、ドラマ「名門私立女子高校」で芸能界デビュー
  4. 18歳の誕生日に歌手デビュー
  5. デビューした時、「3年間は男の子と口をきかない」と自身で決めた
  6. 週刊少年マガジンで、いきなり36ページの巻頭ページを飾る
  7. 18歳で日生劇場で舞台デビュー
  8. ドラマで演じた、主人公での決め台詞が大流行した
  9. ラジオを担当し、アイドル番組史上最も人気の番組になった
  10. 映画の主演を果たし、その主題歌で初のオリコンチャート第1位を獲得
  11. テレビ局のスタッフもざわついた南野陽子の容姿
  12. 「カリスマアイドル」「ナンバーワン・アイドル」と称される活躍を示す
  13. 南野陽子の衣装が評判で卒業式や成人式に女子が大正ロマン風になる
  14. 21歳でNHK大河ドラマに出演、1人2役を演じ最高記録を塗り替え、”ナンノ現象”と呼ばれた
  15. ハードスケジュールから入院し病院からテレビ局に通っていた
  16. 多数の企業のイメージキャラクターに起用されCMに出演
  17. 「世界のスター切手」で日本のスターとして切手の題材となる
  18. 所属事務所から独立、個人事務所を設立した
  19. 80年代後半に最も活躍した女性アイドルの四天王の一人だった
  20. 新曲の発売時に歌番組で着用する衣装を自らデザインしていた
  21. 25歳で歌手活動休止、女優業に専念

 

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伝説エピソード① 友人と公開番組を観覧したときスカウトされる

偶然の運命の出会い

神戸に暮らしていた高校生の頃、友人と訪れた公開収録。

突然声をかけたのは、笑顔を浮かべたスカウトマンだった。
その方の紹介で、14社、15社もの事務所からオファーが舞い込んだ。

まるで夢のような出来事に、驚いた。
華やかな芸能界への誘い。
しかし、当時の南野陽子さんにはどこか現実味が感じられず、心惹かれることはなかった。

当時、南野陽子さんは神戸のお嬢様学校に通っていました

当時、南野陽子さんは神戸のお嬢様学校に通っていました

カラオケボックスもない時代、人前で歌う経験といえば、合唱コンクールくらい。
そんな南野陽子さんには、ステージで輝く姿は想像もつかなかった。

画像のリカちゃんについて
神戸の松蔭中学高・高等学校の創立記念で作られたリカちゃん、かわいいですね。
南野さんも、負けないくらいのかわいらしさです。
(神戸では有名なお嬢様学校)


それでも、次第に東京への憧れが芽生え始めた。
「東京に行ってみたらどんなだろう?」「綺麗にしてもらえるかな?」高校生らしい、キラキラした夢に胸を膨らませるようになった。

 

 

伝説エピソード② 級友からお別れのカードを贈られやむなく上京した

始まりは、親の勘違い
高校2年の夏に家で衣がえをしていたという。小学生の頃は親が出した服を着ていたが高校生にもなると、自分でチョイスして着ていた。

冬物を片していたら、「陽子が洋服をたたんで箱にしまってる、家出するんだ!」親が学校の先生に相談してしまった。
先生も早まって、「南野さんは一学期で転校して芸能界デビューします。」と学校で話してしまった。

そんな状況の中、級友たちからのお別れのカードを渡されて、「学校やめるんだ!」「東京に行くんだって!」「頑張ってね!」「応援してる!」もう引くに引けなかったという。

南野陽子若い頃:親の勘違いから東京に行く

南野陽子若い頃:親の勘違いから東京に行く

当時、南野陽子さんは、芸能活動に対して100%の内2%くらいしか気持ちはなったといいます。

周りの勢いに乗る形で上京し、かなりプレッシャーがあったとあかしています。
「もう、これですぐには帰れないな。」と言う気持ちで上京してきたと語る。

 

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伝説エピソード③ CBSソニーのオーディションを受け、ドラマ「名門私立女子高校」で芸能界デビュー

上京して、高校に通いながらデビューを目指した。

南野陽子は若い頃、上京して東京の堀越学園に通っていた。

南野陽子:堀越学園修学旅行、歌手デビュー前

南野陽子:堀越学園修学旅行、歌手デビュー前

(堀越学園の修学旅行:歌手デビュー前の南野陽子さん)

 

1984年:17歳でドラマ「名門私立女子高校」で芸能界デビュー。

南野陽子ドラマ初出演「名門私立女子高校」当時高校2年生

南野陽子ドラマ初出演「名門私立女子高校」当時高校2年生

 

上京後、仕事はなく給料は3万円で、遼の家賃2万円を払うと月の生活費は1万円だったと言う。
そんな南野陽子さんは、120円のうずまきパンを2日に分けて食べていたと自身で語った。
南野陽子:東京での一人暮らしの遼、当時高校2年生

南野陽子:東京での一人暮らしの遼、当時高校2年生

学校が終わると、自身でテレビ局に行き「お仕事下さい」と売り込みをする積極的な一面がある一方で、ソニーのオーディションの時に、人前で歌など歌ったことがなかった南野陽子さんは、恥ずかしくて「歌えません」と辞退しようとする。

南野陽子:17歳で「名門私立女子高校」でドラマデビュー当時高校2年生

南野陽子:17歳で「名門私立女子高校」でドラマデビュー当時高校2年生

そのことが目に止まり、「面白い子がいる」とかえって良い印象となり勝ち残り、デビューすることになった。

神戸のお嬢様学校に通っていた南野陽子さんは、上京する時に「ミニスカートの撮影」はイヤ「水着の撮影はワンピース」でもイヤだと思っていたそうです。
女友達と、プールに行くのも恥ずかしくてイヤだったほどの「恥ずかしがり屋」だったそうです。

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伝説エピソード④ 18歳の誕生日に歌手デビュー

1985年:18歳の誕生日に歌手デビューする

「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー。

当時のキャチフレーズは「純だね、陽子」「可憐だね、陽子」
CBSソニーでは、山口百恵さんをプロデュースした酒井政利さんが南野陽子さんの担当となった。

南野陽子:1985年:18歳の誕生日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューする

南野陽子:1985年:18歳の誕生日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューする

南野陽子さん可憐すぎるエピソード

南野陽子さんのデビュー曲「恥ずかしすぎて」は、実は当初「天使のハンカチーフ」というタイトルで制作されていました。

しかし、レコーディングスタジオで歌うように指示された南野さんは、人前で歌うことに慣れておらず、「みんなが聞いているから歌えない」と固まってしまったのです。

その様子を見た作詞家は、「こんなに恥ずかしがり屋な娘なの!?」と驚き、歌詞を書き換えてタイトルも「恥ずかしすぎて」に変更しました。

南野陽子、照れ屋さんながらも、持ち前の明るさで周囲を魅了してしまう

南野陽子、照れ屋さんながらも、持ち前の明るさで周囲を魅了してしまう

まさに南野さんの可憐さを体現したようなエピソードですね。照れ屋さんながらも、持ち前の明るさで周囲を魅了してしまう南野さんの姿が目に浮かぶようです。

このエピソードからは、南野陽子さんの性格と、周囲の人々を惹きつける魅力が伝わってきます。そして、デビュー曲「恥ずかしすぎて」が、彼女の歌声と個性を見事に表現した楽曲であることが分かります。

 

当時の南野陽子さんは、芸能界のことを何も知りませんでした。

その反動もあり頭の良かった南野さんは、きちんと色々なことを、知って自分の仕事と向き合いたいと考え、東京もよく知らない高校生が一人で、地図とメモ帳を持参してテレビ局などに行き、「プロデューサーさんて何をされてる方ですか?」と尋ねたり「そこに出るところありませんか?」「私は何をしたら良いですか?」と聞いてメモしたという。

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伝説エピソード⑤ デビューした時、「3年間は男の子と口をきかない」と自身で決めた

アイドルとしてデビューした瞬間、決意を胸に秘めた。

南野陽子は若い頃は、男子と口を聞かなかった。

「3年間は男の子と口をきかない」。それは、周囲のアイドルたちが華やかに男子と談笑する中、決して揺るがない選択肢だった。

ファンを裏切らない、唯一無二の存在になるために、彼女はストイックな道を歩み始めた。

歌番組の楽屋裏、他のアイドルたちが男子からちょっかいをかけられていても、南野陽子さんには何の動揺も見られなかった。

彼女には、己の信念を貫く強さがあった。

そして3年間、守り抜いた。 アイドルとしての自分が、ファンに向けた感謝の気持ち!

南野陽子若い頃:歌番組出演

南野陽子若い頃:歌番組出演

 

日本テレビ系『歌のトップテン』に出演した際、南野陽子さんは番組にゲストとして呼ばれた男子高校生と出会う。
その男子高校生は、南野さんをモデルにした作品を文化祭に出展したことがきっかけで、番組に招かれたのだ。
南野さんは、その男子高校生と握手する時、衣装の長い右手袋をわざわざ取って、直に握手したという。
「ファンの想いを大切にする」という南野陽子さんの人柄は、語らなくても行動として、多くのファンの心をつかんだ。
南野陽子さんにとって、ファンはかけがえのない存在であり、その想いに常に寄り添い、誠実に接しようとする姿勢は、多くのファンを惹きつける魅力の一つと言えるだろう。

 

伝説エピソード⑥ 週刊少年マガジンで、いきなり36ページの巻頭ページを飾る。

1985年:18歳
講談社の週刊少年マガジン「DELUXEマガジン」で表紙を担当。
しかもいきなり36ページの巻頭ページを飾る。

南野陽子 「DELUXEマガジン」で表紙を担当。 しかもいきなり36ページの巻頭ページを飾る

南野陽子 「DELUXEマガジン」で表紙を担当。 しかもいきなり36ページの巻頭ページを飾る

その時の気持ちを南野陽子さんは
「エエッ。私、デラマガの巻頭!どうして!って感じでした。」

当時の堀越の友人から
「すごいね!なんで36ページもくれるの?なんか裏あるの?なんて言われました。

南野陽子、雑誌撮影でまさかの展開! “ビートたけしより先に” 講談社へ乗り込む

1985年:18歳 まだ高校生だった南野陽子さんに、男性向け雑誌「DELUXEマガジン」で4ページの特集記事が決まります。喜び勇んで撮影に臨んだ南野陽子でしたが、そこで思いがけない事態が起こります。

完璧にメイクされた自分の顔を見て、南野陽子さんは違和感を覚えます。高校生らしい自然な姿ではなく、大人びた、不自然なメイクに、心がざわめきます。

そして、誰もいない化粧室で、南野陽子さんは決断します。黙々とメイクを落とし、ありのままの自分に戻したのです。

南野陽子さんはノーメークで撮影した

南野陽子さんはノーメークで撮影した

雑誌に掲載されたその時の写真は、確かに南野陽子さんらしからぬ仕上がりになっていました。しかし、彼女はここで諦めません。

「このままだと悔しい!」

リベンジを誓った南野陽子さんは、再び講談社編集部を訪れます。そして、自身の思いや要望を力強く訴えます。

その熱意が編集部に伝わったのか、「DELUXEマガジン」で、なんと36ページの巻頭ページを飾る特集が決まりました。

南野陽子18歳の「デラマガ」再チャレンジ

南野陽子18歳の「デラマガ」再チャレンジ

南野陽子さんはその雑誌で、ありのままの自分を知ってもらいたいと考え「自然な笑顔と等身大のファッション」で、読者の心を掴みました。

南野陽子「自然な笑顔がキュート」「自然な笑顔と等身大のファッション」で、読者の心を掴みました。

南野陽子「自然な笑顔がキュート」「自然な笑顔と等身大のファッション」で、読者の心を掴みました。

 

「ビートたけしさんより先に講談社へ乗り込んだ」と、南野陽子さんは当時を振り返ります。その行動力と芯の強さは、まさにトップアイドルと言えるでしょう。

彼女の “自分らしさ” を貫く姿 は、時代を超えて素敵です。

 

南野陽子さんはこう語りました。
私がこの雑誌に出られたのも、デラマガ・ボーイズが「陽子ちゃんの写真がみたい!」って指示してくれたからです。
私は、私を応援してくれる人は大切にしたい。ありがたいです。

 

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伝説エピソード⑦ 18歳で日生劇場で舞台デビュー

1985年:18歳で日生劇場「リトルウィミンー若草物語」でデビューする。

この作品は、アメリカ文学の巨匠ルイーザ・メイ・オルコットが描いた名作小説を舞台化したもので、南野さんは四女・エイミー役を演じました。

南野陽子さん 1985年:18歳で日生劇場「リトルウィミンー若草物語」でデビュー

南野陽子さん 1985年:18歳で日生劇場「リトルウィミンー若草物語」でデビュー

初舞台とは思えない堂々とした演技力で、観客を魅了した南野さん。明るく前向きなキャラクターを体現し、舞台を華やかに彩りました。

 

四姉妹の末っ子、愛らしいおしゃまさん!
南野陽子が演じたエイミーは四姉妹の末っ子、12歳の少女。

まるで金色の陽だまりのような存在です。
くるくると巻いた可憐な巻き毛は、彼女の天真爛漫さを象徴しているかのようです。
お嬢様のように振る舞うのが大好きで、覚えたての難しい言葉を使って周囲を驚かせます。
しかし、その度に思わずクスッと笑ってしまうような言い間違いをしてしまうのも、彼女の愛らしさの一つです。
絵を描く才能にも恵まれ、写生をするのが何よりも好き。
キャンバスに広がる色彩は、彼女の豊かな感性と想像力を物語っています。
南野陽子には、とてもお似合いの役ですね。

 

伝説エピソード⑧ ドラマで演じた、主人公での決め台詞が大流行した

1985年11月:18歳・運命が動き始めた。

南野陽子、若い頃にドラマで大ブレイク!

80年代を彩った伝説の学園ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」

南野陽子18歳:伝説の学園ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」

南野陽子18歳:伝説の学園ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」

主人公・麻宮サキの華麗なアクションと、土佐弁訛りを交えた決まり文句は、

「鉄仮面に顔を奪われ十と七とせ、生まれの証しさえ立たんこのあてぇが何の因果かマッポの手先。二代目スケバン刑事(デカ)麻宮サキ。おまんら許さんぜよ!」

子供たちの「ごっこ遊び」に飛び火し、若者の間でも大流行。熱き闘志が時代を駆け抜け、多くのファンを魅了した。

南野陽子:不器用さの奥底に輝く、底力と可憐な魅力

華やかなイメージとは裏腹に、彼女は極度の運動音痴として知られていた。アクションシーンの撮影では、腕立て伏せができないためにワイヤーで吊られたり、リンゴの中身をくり抜いて握りつぶしたりと、様々な工夫が凝らされた。

助監督の武田秀雄氏は、「南野さんが初めてでんぐり返しを成功させた時は、スタッフ全員で拍手喝采しましたよ」と当時を振り返る。

南野陽子、運動オンチだけど必死に頑張る

南野陽子、運動オンチだけど必死に頑張る

常に向上心を持って努力を続けていた。

しかし、撮影現場では遅い」「どんくさい」「帰れ!」などの厳しい言葉を浴びせられ、悔しさのあまり涙を流すこともあったという。それでも、彼女は決して諦めなかった。持ち前の明るさと粘り強い根性で困難を乗り越えていった。

中学生の頃逆上がりができなくて、公園の鉄棒でお母さんに助けてもらいながら、練習したこともあったと話す。
運動会では、いつもビリ!
あまりに差がつくのが嫌で、靴が脱げたフリしたりして言い訳を作ってました。
本当、スポーツはダメでした。

不器用さに苦しみながらも、努力で道を切り開いてきた南野陽子さん。

その姿は、当時現場にいたスタップさんなど多くの人々の心に刺さった。

小さな子供からハイティーンまで、幅広い層を熱狂させたその姿は、まさにトップアイドルの誕生。

南野陽子さんは、この作品で、名実ともにトップアイドルの座を手に入れたと言える。

 

こうして南野陽子さんの活躍の場は多くなっていきましたが、実は、「スケバン刑事」の主役をやるようになっても2年目、3年目になり、歌で1位をとってもお給料は10万円も、もらってなかったんです。
あの頃は、とにかく雑誌に載るとか、ドラマに出るとかして形を作らないと地元に帰れないと思ってました。と語った。

 

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伝説エピソード⑨ ラジオを担当し、アイドル番組史上最も人気の番組になった。

デビューと同時に始まったラジオ番組「南野陽子 落書きだらけのクロッキー・ブック」。

そして1986年10月12日:19歳新番組「南野陽子 ナンノこれしきっ!」がスタート。

アイドルの素顔をありのままに伝えるその内容は、瞬く間に多くのリスナーを魅了し、伝説の番組となった。

南野陽子のラジオ「南野陽子 ナンノこれしきっ!」

南野陽子のラジオ「南野陽子 ナンノこれしきっ!」

当時ニッポン放送で2番目にハガキの多かった「チェッカーズ」の番組の3倍ものハガキが届いたという圧倒的な人気は、まさに驚異的。

ドラマや歌番組では表現しきれなかった等身大の魅力が、ラジオを通して鮮やかにファンに届いた。

番組宛てに大量のハガキが寄せられる中、雑誌のカメラマンから「上に投げてみては?」とリクエストされた。
南野陽子は、「リスナーが書いてくれた大切なハガキを投げるなんて、できません」と毅然とした態度で断った。

番組ディレクターは、このエピソードを振り返り「南野さんはファンの気持ちをとても大切にする人」と語っている。

 

伝説エピソード⑩ 映画の主演を果たし、その主題歌で初のオリコンチャート第1位を獲得

1987年:20歳 南野陽子さんはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

劇場版「スケバン刑事」主演、主題歌「楽園のDoor」でオリコンチャート1位を獲得。

南野陽子映画主題歌「楽園のDoor」でオリコンチャート1位を獲得

南野陽子映画主題歌「楽園のDoor」でオリコンチャート1位を獲得

劇場版「スケバン刑事」の撮影秘話

監督に「何でも自分でやらせて下さい」と直訴した南野さん。
体調不良で2カットのみスタントマンを使った以外は、アクションシーンも全て自ら演じ切った。
しかし、一部の台詞に吹き替えが使われたことに関しては、悔しい思いだったといいます。
南野陽子映画主演:20歳・休憩中には台本をチェックする

南野陽子映画主演:20歳・休憩中には台本をチェックする

テレビシリーズの時、撮影前に大野剣友会で特訓を受けた際、前転も腕立て伏せもままならなかったという南野さん。

南野陽子若頃:映画撮影も想いを込めて

南野陽子若頃:映画撮影も想いを込めて

しかし、持ち前のガッツと根性で努力を重ね、見事に成長を遂げました。殺陣師は、当時の南野さんについて「別人のように成長した」と驚きを隠せませんでした。

南野陽子若い頃の撮影:20歳、朝から晩までほこりまみれだった

南野陽子若い頃の撮影:20歳、朝から晩までほこりまみれだった

南野さんのような努力を惜しまない姿勢は、本当に素敵です。

殺陣師は「南野のようなガッツや根性のある役者は必ず成功する」と断言しています。

このエピソードは、南野陽子さんが女優としていかにストイックに演技に取り組んでいたことを物語っています。

 

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伝説エピソード⑪ テレビ局のスタッフもざわついた南野陽子の容姿

南野陽子、歌のトップテンで放つ眩い光

当時「歌のトップテン」の司会を務めていた徳光和夫氏は、南野陽子さんの登場をこう振り返ります。

「南野さんが初めて番組に来た時、テレビ局のスタッフがざわついたんです。それくらい、南野さんの美しさは圧倒的でした。」

南野陽子若い頃:徳光氏をはじめ、スタッフ一同がその美しさに息を呑んだ

南野陽子若い頃:徳光氏をはじめ、スタッフ一同がその美しさに息を呑んだ

南野さんのかぐや姫のような美貌は、見る者を魅了せずにはおきませんでした。

徳光氏をはじめ、スタッフ一同がその美しさに息を呑んだというエピソードは、まさに伝説と言えるでしょう。

南野さんは若い頃、番組でもその美貌を存分に発揮し、視聴者を虜にしました。

歌のトップテンでの南野さんの姿は、まさに日本のアイドル史に輝く一ページと言えるでしょう。

南野陽子さんは当時の歌番組を!
朝から晩までいつもセメントのほこりまみれだったり、血のりや服が破けていたりしてました。
ですが、歌の時は華やかな衣装でキラキラした人たちに会えて、忙しくて寝る時間もなかったけどとても嬉しかった。ご褒美の時間だった。と語っています。

 

 

伝説エピソード⑫ 「カリスマアイドル」「ナンバーワン・アイドル」と称される活躍を示す。

ドラマ、映画、写真集と、次々とヒット作を連発し、瞬く間に「カリスマアイドル」「ナンバーワン・アイドル」の称号を手にした。

南野陽子は若い頃から、カリスマ性があった。

その勢いは音楽シーンにも及び、1987年にリリースされた

「楽園のDoor」

南野陽子1987年1月20歳「楽園のDoor]

南野陽子1987年1月20歳「楽園のDoor]

 

「話しかけたかった」

南野陽子1987年4月20歳「話しかけたかった」

南野陽子1987年4月20歳「話しかけたかった」

 

「パンドラの恋人」

南野陽子1987年7月20歳「パンドラの恋人」

南野陽子1987年7月20歳「パンドラの恋人」

 

「秋のIndication」

南野陽子1987年9月20歳「秋のindication]

南野陽子1987年9月20歳「秋のindication]

の4曲全てが週間チャート1位を獲得年間シングルセールス1位に輝く快進撃は、まさに伝説と言えるだろう。

その後のシングル

「はいからさんが通る」

南野陽子1987年12月20歳「はいからさんが通る」

南野陽子1987年12月20歳「はいからさんが通る」

 

「吐息でネット。」

南野陽子1988年2月 21歳「吐息でネット。」

南野陽子1988年2月 21歳「吐息でネット。」

 

「あなたを愛したい」

南野陽子1988年6月 21歳「あなたを愛したい」

南野陽子1988年6月 21歳「あなたを愛したい」

 

「秋からも、そばにいて」

南野陽子1988年10月 21歳「秋からも、そばにいて」

南野陽子1988年10月 21歳「秋からも、そばにいて」

など、その後もヒット曲を連発し、8曲連続オリコン1位を記録

(間をおいて「フィルムの向こう側」で1位を獲得。計9曲)。

 

「フィルムの向こう側」

南野陽子1989年11月 22歳「フィルムの向こう側」

南野陽子1989年11月 22歳「フィルムの向こう側」

1987年2月から1990年2月までの3年間で、1位獲得数最多となった南野陽子さんは、まさに時代を象徴する存在だった。

 

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伝説エピソード⑬ 南野陽子の衣装が評判で卒業式や成人式に女子が大正ロマン風になる

映画「はいからさんが通る」は、単なる映画にとどまらず、当時のファッションに大きな革命をもたらした。

主演・南野陽子さんが着こなした大正ロマン風の衣装は、瞬く間に多くの女性を魅了し、たちまち流行となった。

南野陽子の衣装が評判で卒業式や成人式に女子が大正ロマン風になる

南野陽子の衣装が評判で卒業式や成人式に女子が大正ロマン風になる

特に、卒業式や成人式に女子が袴を履くスタイルは、まさに社会現象と言えるほど広まった。

南野陽子演じる「お嬢さん」の凛とした美しさや、自由奔放な生き方は、多くの女性の憧れとなり、時代を象徴する存在となったのである。

 

伝説エピソード⑭ 21歳でNHK大河ドラマに出演、1人2役を演じ最高記録を塗り替え、”ナンノ現象”と呼ばれた

1988年:21歳で、南野陽子さんは新たな伝説を打ち立てた。

NHK大河ドラマ「武田信玄」への出演である。

南野陽子「武田信玄」で二役を演じる当時21歳

南野陽子「武田信玄」で二役を演じる当時21歳

そこで彼女は、(おここ・湖衣姫)の1人2役を演じ、圧巻の演技を披露した。

 

湖衣姫役(こいひめ)
信玄の側室。諏訪頼重の娘。勝頼の母。顔が「おここ」と瓜二つ。

南野陽子21歳 NHK大河ドラマ「武田信玄」への出演

南野陽子21歳 NHK大河ドラマ「武田信玄」への出演

 

おここ役
晴信の初恋の人。農民の子供。

南野陽子21歳 NHK大河ドラマ「武田信玄」で、二役を演じる。おここ役

南野陽子21歳 NHK大河ドラマ「武田信玄」で、二役を演じる。おここ役


その結果、番組は初回視聴率42.5%という驚異的な数字を叩き出し、歴代大河ドラマ初回視聴率の最高記録を塗り替えた。

まさに歴史的快挙と言えるだろう。この驚異的な視聴率は、当時社会現象となった“ナンノ現象”を象徴するものであった。

南野陽子の人気は留まることを知らず、まさに時代を席巻したのである。

 

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伝説エピソード⑮ ハードスケジュールから入院し病院からテレビ局に通っていた

アイドルとして華やかな活躍を続ける一方で、過酷なスケジュールが南野陽子さんの体を蝕んでいた。

ついに、彼女は腎盂腎炎を発症し、13日間の入院を余儀なくされる。

しかし、それでも彼女は仕事の手を緩めなかった。

南野陽子:歌番組で「吐息でネット。」を歌う

南野陽子:歌番組で「吐息でネット。」を歌う


病室からテレビ局に通い、当時のヒット曲「吐息でネット。」を歌い上げていました。

そのストイックな姿勢は、まさにプロとしての責任感と強い意志の表れでですね。
今では、考えられないことです。

 

 

伝説エピソード⑯ 多数の企業のイメージキャラクターに起用されCMに出演

上京間もない頃、南野陽子さんは東京に戸惑いながらも、持ち前の明るさと行動力で仕事に向き合っていました。しかし、慣れない環境や周囲とのギャップから、自身のこだわりや感情をストレートに表現してしまうこともありました。

広告代理店の仕事では、「私、向いてない」とあっさり辞めてしまう自由奔放さ。

化粧品のCMでは、「私、そんなに肌キレイじゃないから」と飾らない発言で周囲を驚かせます。

さらに、富士フィルムのCMではライバル会社のカメラ愛用者であることを公言するなど、型破りな行動で周りを驚かせました。

こうした南野さんの天真爛漫な言動は、一部の人々からは「生意気だ!」と反感を買うこともありました。

1985年 – 1986年:キリンビバレッジ「KIRIN LEMON 2101」(杉本哲太との共演作)

南野陽子若い頃のCM1985年 - 1986年:キリンビバレッジ「KIRIN LEMON 2101」(杉本哲太との共演作)

南野陽子若い頃のCM1985年 – 1986年:キリンビバレッジ「KIRIN LEMON 2101」(杉本哲太との共演作)

 

1985年 – 1987年:ダリヤ「ベネルック化粧品・聖なる女(ひと)」

南野陽子若い頃のCM1985年 - 1987年:ダリヤ「ベネルック化粧品・聖なる女(ひと)」

南野陽子若い頃のCM1985年 – 1987年:ダリヤ「ベネルック化粧品・聖なる女(ひと)」

 

1985年 – 1987年:ハウス食品「コロコロリン」「冷し中華」「さかなかな?」「フルーツインゼリー」 

南野陽子若い頃のCM 1985年 - 1987年:ハウス食品「コロコロリン」「冷し中華」「さかなかな?」「フルーツインゼリー」 

南野陽子若い頃のCM 1985年 – 1987年:ハウス食品「コロコロリン」「冷し中華」「さかなかな?」「フルーツインゼリー」

 

1985年 – 1988年:富士写真フイルム「フジカラーHR」「フジカラー・スーパーHR」ほか各種

南野陽子若い頃のCM1985年 - 1988年:富士写真フイルム「フジカラーHR」「フジカラー・スーパーHR」ほか各種

南野陽子若い頃のCM1985年 – 1988年:富士写真フイルム「フジカラーHR」「フジカラー・スーパーHR」ほか各種

 

1986年:KDD「国際ダイヤル通話」

南野陽子若い頃のCM 1986年:KDD「国際ダイヤル通話」

南野陽子若い頃のCM 1986年:KDD「国際ダイヤル通話」

 

1986年 – 1989年:ONKYO「ラディアン」

南野陽子若い頃のCM 1986年 - 1989年:ONKYO「ラディアン」

南野陽子若い頃のCM 1986年 – 1989年:ONKYO「ラディアン」

 

1987年 -1990年:江崎グリコ 「セシルチョコレート」「ポッキー」「アーモンドチョコレート」ほか各種 (岩城憲・本田美奈子との共演作もある)

南野陽子若い頃のCM:1987年 -1990年:江崎グリコ 「セシルチョコレート」「ポッキー」「アーモンドチョコレート」ほか各種

南野陽子若い頃のCM:1987年 -1990年:江崎グリコ 「セシルチョコレート」「ポッキー」「アーモンドチョコレート」ほか各種

 

1987年 – 1989年:富士通「FM-77AV40EX/20EX」・「FMRシリーズ」「FM TOWNS」

南野陽子若い頃のCM:1987年 - 1989年:富士通「FM-77AV40EX:20EX」・「FMRシリーズ」「FM TOWNS」

南野陽子若い頃のCM:1987年 – 1989年:富士通「FM-77AV40EX:20EX」・「FMRシリーズ」「FM TOWNS」

 

1987年:郵便局「年賀状はお早めに」

南野陽子若い頃のCM:1987年:郵便局「年賀状はお早めに」

南野陽子若い頃のCM:1987年:郵便局「年賀状はお早めに」

 

1988年:カネボウ化粧品「BIO フィットネット口紅」

南野陽子若い頃のCM:1988年:カネボウ化粧品「BIO フィットネット口紅」

南野陽子若い頃のCM:1988年:カネボウ化粧品「BIO フィットネット口紅」

 

1988年 – 1991年:JR西日本(京阪神・中国・北陸エリア)

南野陽子若い頃のCM:1988年 - 1991年:JR西日本(京阪神・中国・北陸エリア)

南野陽子若い頃のCM:1988年 – 1991年:JR西日本(京阪神・中国・北陸エリア)

 

1989年 – 1990年:資生堂ファイントイレタリー「シャワーソープ」

南野陽子若い頃のCM:1989年 - 1990年:資生堂ファイントイレタリー「シャワーソープ」

南野陽子若い頃のCM:1989年 – 1990年:資生堂ファイントイレタリー「シャワーソープ」

 

1989年 – 1991年:浅田飴「浅田飴クール、ニッキ、パッション」「浅田飴水飴」

南野陽子若い頃のCM:1989年 - 1991年:浅田飴「浅田飴クール、ニッキ、パッション」「浅田飴水飴」

南野陽子若い頃のCM:1989年 – 1991年:浅田飴「浅田飴クール、ニッキ、パッション」「浅田飴水飴」

 

1991年:名鉄「メディアカード」

南野陽子若い頃のCM:1991年:名鉄「メディアカード」

南野陽子若い頃のCM:1991年:名鉄「メディアカード」

 

1994年:関西デジタルホン 

南野陽子若い頃のCM:1994年:関西デジタルホン 

南野陽子若い頃のCM:1994年:関西デジタルホン

 

しかし、その裏には、自身の信念を貫き、ありのままの自分でいたいという強い意志があったのです。

スタッフとの打ち合わせの席で、「私はあなたの名前を知らないからお名刺をいただけますか」と、堂々と名刺を要求したという南野さん。まだ高校生だった彼女にとって、これは相当な勇気だったでしょう。

さらに、芸能界では一般的だった「おはようございます」という挨拶にも反抗し、昼なら「こんにちは」、夜なら「こんばんは」と、時間帯に合わせた挨拶にこだわっていたというエピソードも印象的です。

これらのエピソードからは、南野さん自身のことをしっかりと認識し、周囲に流されずに自分らしさを貫こうとする強い意志が伝わってきます。

南野陽子さんが持つ初々しさと、周囲に屈しない芯の強さは、多くの人々を魅了しました。

その後の活躍で、多くの人々に夢と希望を与えてくれる存在となったのです。

 

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伝説エピソード⑰ 「世界のスター切手」で日本のスターとして切手の題材となる

南野陽子、カリブの島に輝くシンボルとなる

南野陽子若い頃、切手になる。

中米カリブ海の島国グレナダが、世界の人気歌手を描いた切手セットを発行しました。

『世界のスター切手』にティナ・ターナー、マドンナ、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーンと共に、日本のアイドル歌手である南野陽子さんも「ナンノ」の愛称で親しまれ、小型シートとして登場しました。

南野陽子の切手が発売される:当時21歳

南野陽子の切手が発売される:当時21歳

この小型シートが発行された理由は、謎に包まれています。世界的なスターと肩を並べる「別格」扱いを受け、その不可解さは増すばかりです。しかし、人気は上々で、多くの人々を魅了しています。

「週刊明星」では「日本のスターで、外国切手に起用されたのは、モチロン初めて」と報じていますが、実は日本人として切手に「出演」したのは、南野陽子さんが2番目となります。1番目は、リベリア発行の日本万国博覧会切手(1970)に登場した三波春夫さん(あの農協マーク入り切手)でした。

南野陽子さんの小型シートは、単なる切手以上の意味を持っています。それは、日本のアイドル文化が世界に認められた証であり、南野陽子さんの国際的な人気を象徴するものです。

カリブの島で切手になるなんて素敵ですね。

そしてこの切手はカリブ島よりも日本で爆発的に売れました。

 

伝説エピソード⑱ 所属事務所から独立、個人事務所を設立した

南野陽子、独立! 芸能界を駆け抜けた6年間

1990年、南野陽子さんは衝撃的な決断をします。所属していたエスワン・カンパニーとの契約を更新せず、自ら個人事務所「サザンフィールド」を設立したのです。

当時、アイドルが独立することは極めて稀でした。しかし、南野陽子さんは強い意志を持って新たな道を歩み始めます。

レコード会社との連携もバッチリ!
南野さんは楽曲の版権を一時的にCBS・ソニーに預け、レコード会社のバックアップを受けながら活動しました。音楽プロデュースはビーイングが担当し、ファンクラブ運営もビーイング関連会社BEXが行うなど、盤石の体制を築き上げます。

サザンフィールドでの6年間
南野さんにとって輝かしい時代となりました。
「はいからさんが通る」や「吐息でネット」、そしてドラマ「スケバン刑事」など、数々のヒット作を生み出し、不動の人気アイドルとして君臨します。

1996年:29歳の時に、南野陽子さんは新たな挑戦を求めて「スイート・ベイジル」へ移籍。
1999年:32歳で女優業に本格的に力を入れるため、バーニングプロダクション系列のケイダッシュへ移籍します。

サザンフィールドでの経験は、南野陽子に大きな飛躍をもたらしました。独立という決断は、彼女の力強さを象徴する出来事と言えるでしょう。

 

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伝説エピソード⑲ 80年代後半に最も活躍した女性アイドルの四天王の一人だった

 

南野陽子は若い頃、アイドル四天王の一人だった。

1980年代後半、日本の歌謡界はアイドル戦国時代を迎えていました。その中でも、ひときわ輝きを放っていたのが、「アイドル四天王」 と称された4人の女性アイドルです。

南野陽子、中山美穂、浅香唯、工藤静香それぞれが個性的魅力を武器に、芸能界を席巻しました。

南野陽子は若い頃アイドル四天王の一人だった

南野陽子は若い頃アイドル四天王の一人だった

南野陽子
キュートなルックスと抜群の歌唱力で、多くのファンを魅了した「可憐さ」と「強さ」を兼ね備えたアイドル。

中山美穂
大人びた雰囲気と演技力で、ドラマや映画でも活躍した「才色兼備」なアイドル

浅香唯
明るい笑顔と健康的で親しみやすいキャラクターで、幅広い層から支持された「太陽のような」アイドル。

工藤静香
抜群の歌唱力とクールなイメージで、新しい時代のアイドル像を提示した「カリスマ性」溢れるアイドル。

 

1986年、南野陽子は写真集「陽子をひとりじめ……」で、トップアイドルへと駆け上がります。
その圧倒的な美貌と魅力が詰め込まれた写真集は、当時の女性アイドル写真集の発行部数トップという驚異的な記録を達成。

南野陽子若い頃の写真集「陽子をひとりじめ」

南野陽子若い頃の写真集「陽子をひとりじめ」

それまでの記録保持者だった薬師丸ひろ子をも抜き去り、まさに「10代の女神」と言われるほどでした。

ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」での主演も大当たりし、主題歌「吐息でネット」はミリオンヒットを記録。さらにCMにも多数出演し、まさに時の人となりました。

そのキュートなルックスと抜群の歌唱力、そして “可憐さ” と “強さ” を兼ね備えた魅力は、10代女子の心を掴み、圧倒的な人気を誇りました。

南野陽子は、まさに80年代を代表するアイドルと言えるでしょう。彼女が作り上げた「10代の女神」という伝説は、今なお語り継がれています。

 

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伝説エピソード⑳ 新曲の発売時に歌番組で着用する衣装を自らデザインしていた

南野陽子さんの意外なエピソード発覚! キャピキャピ衣装の裏側とは?

80年代アイドル四天王の一人として、多くのファンを魅了した南野陽子さん。
そのキュートなルックスと華麗な衣装は見るファンを釘付けにしていました。

しかし、南野陽子さん自身は 「キャピキャピした感じが苦手だった」 と語っていたことをご存知でしょうか?

南野陽子の若い頃の衣装について、番組で明かされた秘密

ある番組の中で、南野陽子に関するクイズが出題されました。その内容は、 「ナンノ衣装に隠された秘密とは?」 というものでした。

視聴者は皆、頭を悩ませました。一体、南野陽子の衣装にどのような秘密が隠されているのでしょうか?

そして、ついに答えが明かされます。

衝撃の真相

なんと、南野陽子 「衣装を自作していた」 というのです!

「6枚目のシングル『楽園のDoor』からは自分で衣装をデザインしていた」 と明かしました。

南野陽子若い頃に自身がデザインした衣装

南野陽子若い頃に自身がデザインした衣装

 

自宅のカーテンでスカートを!?

1988年10月発売の13枚目のシングル 『秋からも、そばにいて』 の衣装について、南野陽子自身が驚くべきエピソードを明かしました。

なんと、その衣装のスカート部分は、 「自宅にあったカーテンを切り取って張り付けた」 というのです!

南野陽子さんの「秋からもそばにいて」の衣装

南野陽子さんの「秋からもそばにいて」の衣装

80年代当時、アイドルが衣装を自作するのはもちろん、衣装についてアイデアを出すこと自体が 「異例中の異例」 でした。

南野陽子の 「自分のイメージを大切にする」 という姿勢は、当時のアイドル界において非常に斬新でした。

 

アイドルという枠を超え、己の道を突き進む南野さん
かつて、アイドルは事務所の指示に従うのが当たり前とされてきた。しかし、南野さんはその型にはまらない強い意志を持ち、周囲の意見に流されることなく自分の道を突き進んだ。その信念は時に「わがまま」と言われることもあったが、それは彼女のファンを思う情熱の裏返しだった。

 

 

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伝説エピソード㉑ 25歳で歌手活動休止、女優業に専念。

南野陽子さんが25歳で歌手活動休止、女優業に専念した理由

女優業に専念した理由は、複合的な要因が考えられます。

女優としてのキャリアの充実
当時、南野さんは1985年(18歳)ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で大ブレイクし、1992年(25歳)映画「私を抱いてそしてキスして」では第16回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞するなど、女優として目覚ましい活躍を見せていました。
歌手活動と女優業の両立が難しくなり、女優業に専念したいという強い意志があったと考えられま
す。

南野陽子:1992年(25歳)映画「私を抱いてそしてキスして」では第16回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞

南野陽子:1992年(25歳)映画「私を抱いてそしてキスして」では第16回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞

 

音楽シーンの変化への適応
1990年代初頭は、バブル経済崩壊の影響もあり、音楽シーンは大きな変化を迎えました。
アイドル歌謡が衰退し、新しい音楽ジャンルが台頭する中で、南野さん自身が歌手としての将来性に不安を感じた可能性もあります。

自身の表現へのこだわり
南野さんは、歌手活動初期からアイドル像に縛られず、自身の意思で活動したいという強い意志を持っていました。
女優業では、より幅広い役柄を演じ、表現の幅を広げたいという思いがあったのかもしれません。

 

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南野陽子の10代の出演作品をプレイバック

 

1984年:「名門私立女子高校」 デビュー作品
北野洋子 役 17歳

南野陽子若い頃:「名門私立女子高校」デビユー作品

南野陽子若い頃:「名門私立女子高校」デビユー作品

1985年:「時をかける少女」(主題歌も担当)初主演
和子 役 18歳

南野陽子若い頃のドラマ:「時をかける少女」当時18歳

南野陽子若い頃のドラマ:「時をかける少女」当時18歳

1985年:「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」
(主演・麻宮サキ(早乙女志織) 役 18歳

南野陽子若い頃のドラマ「スケバン刑事II」

南野陽子若い頃のドラマ「スケバン刑事II」

1986年:「セーラー服恋愛教室 愛のレッスンA!B!C!」
(月曜ドラマランド)19歳

南野陽子若い頃のドラマ「セーラー服恋愛教室 愛のレッスンA!B!C!」

南野陽子若い頃のドラマ「セーラー服恋愛教室 愛のレッスンA!B!C!」

1986年「時にはいっしょに」
準主役・田川季代 役 19歳

南野陽子若い頃のドラマ「時にはいっしょに」当時19歳

南野陽子若い頃のドラマ「時にはいっしょに」当時19歳

 

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南野陽子の20代の出演作品をプレイバック

1987年:「藤子不二雄の夢カメラ2」(ブルートレインブルース)
主演・小田切雅美 役 20歳

南野陽子若い頃のドラマ「藤子不二雄の夢カメラ2」当時20歳

南野陽子若い頃のドラマ「藤子不二雄の夢カメラ2」当時20歳

1987年:「アリエスの乙女たち」
主演・水穂薫 役 20歳

南野陽子若い頃のドラマ「アリエスの乙女たち」当時20歳

南野陽子若い頃のドラマ「アリエスの乙女たち」当時20歳

1988年:「時間ですよスペシャル」(天使の誘惑)
美南子→宝田ヤスコ 役 21歳

南野陽子若い頃のドラマ「時間ですよスペシャル」当時21歳

南野陽子若い頃のドラマ「時間ですよスペシャル」当時21歳

1988年:「熱っぽいの!」
主演・南条円 役 21歳

南野陽子若い頃のドラマ「熱っぽいの!」当時21歳

南野陽子若い頃のドラマ「熱っぽいの!」当時21歳

1988年:「南野陽子のおかしなおかしな大脱走」
伊丹桜 / 麻利亜 役(二役) 21歳

南野陽子若い頃のドラマ「南野陽子のおかしなおかしな大脱走」当時21歳

南野陽子若い頃のドラマ「南野陽子のおかしなおかしな大脱走」当時21歳

1988年:「追いかけたいの!」
主演・白鳥晶 役 21歳

南野陽子若い頃のドラマ「追いかけたいの!」当時21歳

南野陽子若い頃のドラマ「追いかけたいの!」当時21歳

1989年:「春燈」(開局30周年記念 新春3時間ドラマスペシャル)
主演・岩田綾子 役 22歳

南野陽子若い頃のドラマ「春燈」当時22歳

南野陽子若い頃のドラマ「春燈」当時22歳

1989年:「赤ひげ」
まさえ 役 22歳

南野陽子若い頃のドラマ「赤ひげ」当時22歳

南野陽子若い頃のドラマ「赤ひげ」当時22歳

1989年:「夏樹静子の第三の女」
永原茜 役 22歳

南野陽子若い頃のドラマ「夏樹静子の第三の女」当時22歳

南野陽子若い頃のドラマ「夏樹静子の第三の女」当時22歳

1989年:「あいつがトラブル」
主演・美咲令子 役 22歳

南野陽子若い頃のドラマ「あいつがトラブル」当時22歳

南野陽子若い頃のドラマ「あいつがトラブル」当時22歳

1990:世にも奇妙な物語・第1シリーズ 「遅すぎた恋人」
ナツミ 役 23歳

南野陽子若い頃のドラマ世にも奇妙な物語「遅すぎた恋人」当時23歳

南野陽子若い頃のドラマ世にも奇妙な物語「遅すぎた恋人」当時23歳

1990年:「芸能社会」
準主役・坂口愛子 役 23歳

南野陽子若い頃のドラマ「芸能社会」当時23歳

南野陽子若い頃のドラマ「芸能社会」当時23歳

1990年:「いつか見た青い空!」
(24時間テレビスペシャルドラマ・主題歌も担当) 23歳

南野陽子若い頃のドラマ「いつか見た青い空!」当時23歳:主題歌も担当

南野陽子若い頃のドラマ「いつか見た青い空!」当時23歳:主題歌も担当

1990年:「獄門島」
お小夜 役 23歳

南野陽子若い頃のドラマ「獄門島」当時23歳

南野陽子若い頃のドラマ「獄門島」当時23歳

1990年:「勝海舟」
勝順子 役 23歳

南野陽子若い頃のドラマ「勝海舟」当時23歳

南野陽子若い頃のドラマ「勝海舟」当時23歳

1991年:「密愛 2.26に散った恋」
主演・小巻 役 24歳

南野陽子若い頃のドラマ「密愛 2.26に散った恋」当時24歳

南野陽子若い頃のドラマ「密愛 2.26に散った恋」当時24歳

1991年:「お兄ちゃん 改札口」
斉木まち子 役 24歳

南野陽子若い頃のドラマ「お兄ちゃん 改札口」当時24歳

南野陽子若い頃のドラマ「お兄ちゃん 改札口」当時24歳

1991年:「季節はずれの海岸物語’91秋」
圭介の恋の相手 役 24歳

南野陽子若い頃のドラマ「季節はずれの海岸物語'91秋」当時24歳

南野陽子若い頃のドラマ「季節はずれの海岸物語’91秋」当時24歳

1992年1月 戦国最後の勝利者 徳川家康  – 徳姫 役 25歳

 

1992年:「海外特選ミステリー 香港迷宮行」
工藤麻砂美 役 25歳

南野陽子若い頃のドラマ「海外特選ミステリー 香港迷宮行」当時25歳

南野陽子若い頃のドラマ「海外特選ミステリー 香港迷宮行」当時25歳

1992年:「君のためにできること」
関根亮子 役 25歳

南野陽子若い頃のドラマ「君のためにできること」当時25歳

南野陽子若い頃のドラマ「君のためにできること」当時25歳

1993年:「ふられ上手」
主演・ミズキアカネ 役 26歳

南野陽子若い頃のドラマ「ふられ上手」当時26歳

南野陽子若い頃のドラマ「ふられ上手」当時26歳

1993年:「過去を追う女」
リツコ / キヨミ役(二役) 26歳

南野陽子若い頃のドラマ「過去を追う女」当時26歳

南野陽子若い頃のドラマ「過去を追う女」当時26歳

1993年:「愛してるよ!」
久慈紫乃 役 26歳

南野陽子若い頃のドラマ「愛してるよ!」当時26歳

南野陽子若い頃のドラマ「愛してるよ!」当時26歳

 

1995年:「揺れる想い」
主演・横澤加奈子 役 28歳

南野陽子若い頃のドラマ「揺れる想い」当時28歳

南野陽子若い頃のドラマ「揺れる想い」当時28歳

 

 

1996年:「眠狂四郎 今日あって明日なき命を生きる者!」
ともえ / 志津乃 役(二役) 29歳

南野陽子若い頃のドラマ「眠狂四郎」当時29歳

南野陽子若い頃のドラマ「眠狂四郎」当時29歳

 

1996年:「浅見光彦シリーズ3 唐津佐用姫伝説殺人事件」
成沢久子 役 29歳

南野陽子若い頃のドラマ「浅見光彦シリーズ3」当時29歳

南野陽子若い頃のドラマ「浅見光彦シリーズ3」当時29歳

 

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南野陽子の若い頃のカワイイ画像特集

南野陽子さんの若い頃のカワイイ画像を紹介します。

南野陽子若い頃の可愛い画像:鮮やかな青い水着に身を包んだ彼女が、明るい笑顔でこちらを見つめています

南野陽子若い頃の可愛い画像:鮮やかな青い水着に身を包んだ彼女が、明るい笑顔でこちらを見つめています

鮮やかな青い水着に身を包んだ彼女が、明るい笑顔でこちらを見つめています。
その笑顔はまるで太陽のように暖かく、見ている者の心をほんわかと温めます。
その姿はまさに海辺のアイドルのような魅力にあふれています。

 

 

南野陽子若い頃のカワイイ画像:大人びた仕草の中に、愛らしい表情がのぞきます

南野陽子若い頃のカワイイ画像:大人びた仕草の中に、愛らしい表情がのぞきます

小指で口紅を塗りながら、大人びた仕草の中に、愛らしい表情がのぞきます。ピンで止めた前髪が、彼女の幼いイメージをきわ立たせています。純真さと可憐さが溢れ出る。
南野陽子若い頃のカワイイ画像:大人の魅力と可愛らしさが見事に融合し、見る者を魅了しいつまでも見ていられます

南野陽子若い頃のカワイイ画像:大人の魅力と可愛らしさが見事に融合し、見る者を魅了しいつまでも見ていられます

彼女の輝く瞳が、光を反射しながら見つめています。その眼差しは大人の魅力と可愛らしさが見事に融合し、見る者を魅了しいつまでも見ていられます

 

 

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南野陽子の若い頃のネットの声

若い頃の、南野陽子さんについてSNSでもとても可愛い、美人だと言われています。
そんな投稿の一部を、紹介しますね。

 

 

 

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南野陽子に関連する人物の記事

 

若い頃から現在まで交流があると言う伊藤かずえさんの記事も合わせてご覧ください。

 

 

 

80年代には「特番」のアイドル運動会、アイドル水泳大会、など多数で共演している中山美穂さんの記事も合わせてご覧ください。
美穂さんの当時のエピソードを中心に、若い頃の可愛い画像がたくさんあります。

 

 

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