【画像139枚】中山美穂の若い頃の伝説エピソード15選!17歳の時に5億の保険がかけられた?

【画像139枚】中山美穂の若い頃の伝説エピソード15選!美穂に5億の保険がかけられた 芸能

中山美穂、若い頃の伝説エピソード15選

  1. 中山美穂は3歳から伯母夫婦に預けられ育つ
  2. 幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った
  3. 中学校1年生の時に原宿でスカウトされる
  4. 「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー
  5. シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー
  6. 2本のラジオのレギュラー番組のパーソナリティとなる
  7. 映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初出演
  8. 日本レコード大賞 最優秀新人賞を受賞する
  9. 企業からのCMやイメージガールのオファーも殺到する
  10. ファンレターの数は同性のファンが多かった
  11. 主演ドラマ『ママはアイドル』で「ブラウン管のクイーン」とも称された
  12. 番組でヘリに乗った中山美穂には5億円の保険がかけられた
  13. 「第39回NHK紅白歌合戦」に初出場
  14. アイドル四天王と称され、1980年代末のアイドル・シーンを席捲した
  15. 月9枠の常連で主演が7作品と、女性では最多を記録

 

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伝説エピソード① 中山美穂は3歳から伯母夫婦に預けられ育った

中山美穂、若い頃は複雑な生い立ちだった。

長野県に生まれた中山美穂さんが3歳の時、両親は別れた。
美穂さんの戸籍に実父の名前はないと言う。

中山美穂さんの幼少期

中山美穂さんの幼少期


そして父親の記憶もなく、「自分の出生については何も聞かなかったし、聞こうと思ったことはない」として現在も知らないままだという。


美穂さんの母親は彼女と妹を東京の伯母夫婦の家に預けた。伯父は美穂さんの母親に助けの手を差し伸べ、「子供に罪はない」と語り、その言葉通りに愛情を注いだ。

美穂さんは、「その優しさに心から感謝している。」と語った。

 

 

伝説エピソード② 幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った

中山美穂、若い頃からおしゃべりで陽気な性格でした。

彼女にとって、1970代の大人びた歌謡曲を歌うことは何よりの楽しみであり、歌手になることを堂々と豪語していました。
ところが、美穂さんは、ところかまわず大声で歌うために、周囲からはしばしば注意を受けたそうですが、その情熱は揺るぎませんでした。

中山美穂さんが幼少期を過ごした1970年代後半から1980年代前半は、山口百恵さんや松田聖子さんなど、アイドル歌手の全盛期でした。
テレビや雑誌で活躍する彼女たちの姿は、多くの子供たちの憧れの的となっていました。
中山美穂さん小学5年生の頃

中山美穂さん小学5年生の頃

中山美穂さんの母親は、彼女が小学4年生の時に再婚。

義理の父は音楽好きで、歌手を目指して上京した方でした。

1971年に結成した「敏いとうとハッピー&ブルー」に入る予定だった義理父は、直前でやめたことを悔やんでいたため、美穂さんの歌への憧れには理解があったといいます。

美穂さんはもともと目立ちたがりやで、人前で歌うことを苦にするタイプではありませんでした。
むしろ、人前で歌うことを楽しみ、注目されることを喜びました。
こうした性格も、芸能界を目指す要因となったと考えられます。

 

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伝説エピソード③ 12歳の時に原宿でスカウトされる

中山美穂12歳、運命の原宿で掴んだチャンス!

1982年、小金井市立緑中学校1年生だった中山美穂さんの人生は、原宿で大きく動き始めた。

何気なく訪れた街でスカウトされ、心の中で「ラッキーッ!」と叫んだ瞬間、彼女の未来は眩い光に包まれた。

中山美穂さんは、スカウトされる前から自ら映画や劇団のオーディションを多数受けていたのです。
そのくらい、当時の彼女は歌手への憧れが強かった。

歌手という夢を諦めきれなかった父親は、「おまえが先に芸能界に行くのか!?」と驚きを隠せなかったが、周囲の反対は一切なかった。
迷いも不安も消え、中山美穂さんは飛び込む覚悟を決めた。

モデルクラブ・ボックスコーポレーションに所属し、雑誌『花とゆめ』の懸賞ページでモデルデビューを果たした。

それは、彼女にとって夢への第一歩であり、華やかな芸能界へのパスポートだった。

中山美穂さん花とゆめ 懸賞ページ初デビューする

中山美穂さん花とゆめ 懸賞ページ初デビューする

12歳という若さで訪れた転機。中山美穂さんの瞳には、期待と決意が輝いていた。これから始まる、誰も想像できないほどの輝かしい未来を、誰もが予感していた。

中山美穂さん、デビュー前は雑誌を中心に、子役で活躍。
仕事をしながら、夢は歌手!、『ザ・ベストテン』に出るのが最大の目標だった。

中山美穂さんデビュー前は雑誌を中心に子役で活躍

中山美穂さんデビュー前は雑誌を中心に子役で活躍

 

 

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伝説エピソード④ 「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー

中山美穂:若い頃からの夢を超えた、鮮烈なデビュー

1985年1月:「毎度おさわがせします」でツッパリ少女・のどか役でテレビに出演。

幼い頃から夢見ていた芸能界の道を歩み始めた中山美穂さんにとって、女優としてデビューしたことよりも、テレビに出たことが、幼い頃からの夢を実現させた瞬間でもあり、夢がかなった喜びであったと言う。

1985年1月:「毎度おさわがせします」でツッパリ少女・のどか役でテレビに出演

1985年1月:「毎度おさわがせします」でツッパリ少女・のどか役でテレビに出演

ドラマ「毎度おさわがせします」は、思春期の性をテーマにしていて刺激的なシーンやセリフが織り成す鮮烈な内容は、見る者を圧倒し、瞬く間に話題のドラマになる。

中山美穂が体当たりのベッドシーン相手役には木村一八さん16歳

中山美穂が体当たりのベッドシーン相手役には木村一八さん16歳

ドラマ内で15歳の中山美穂さんは体当たりの演技を行い、ドラマは大ヒットし、無名だった「中山美穂」の名前は全国に轟いた。

当時、15歳の中山美穂さんはショーツとブラジャーと言う下着姿などのシーンも演じた。

 

中山美穂さん、ボックスコーポレーションからビッグアップルへ:栄光の第一歩

1985年、15歳の中山美穂さんは、ドラマ「毎度おさわがせします」の終了とともに、当時所属していたボックスコーポレーションからバーニングプロダクション傘下のビッグアップルへと移籍しました。
この決断は、彼女の人生を大きく変える転機となりました。

ボックスコーポレーションでの輝かしいスタート

1982年、わずか12歳で雑誌モデルデビューを果たした中山美穂さんは、ボックスコーポレーションに所属。

その後、1985年から1987年まで放送されたドラマ「毎度おさわがせします」で大胆に15歳でセミヌードを見せ、そのキュートなルックスと演技力で一躍人気スターの座を射止めました。

 

新たなステージへの飛躍

ドラマのヒットにより、更なる飛躍を目指した中山美穂さんは、当時業界を席巻していたバーニングプロダクション傘下のビッグアップルへと移籍を決意します。

当時15歳という若さで、大物芸能事務所への移籍は大きな話題となりました。

中山美穂さんの個人事務所「バーニングパブリッシャーズ」誕生秘話

バーニングパブリッシャーズは、株式会社バーニングプロダクションの系列会社で、所属アーティストの音源管理を行っています。実はこの会社、中山美穂さんの歌手デビューをきっかけに設立されたんです!

誕生の背景

1985年、中山美穂さんはドラマ「毎度おさわがせします」で大ブレイクし、歌手デビューも果たしました。当時、バーニングプロダクションは芸能事務所として急成長しており、所属アーティストの音源管理も複雑化していました。

そこで立ち上がったのが、中山美穂さんの個人事務所「バーニングパブリッシャーズ」です。 バーニングプロダクションから分社化され、中山美穂さんの音楽活動に特化した会社として誕生しました。

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伝説エピソード⑤ シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー

1985年、運命の扉が開く。鮮烈なデビューで、彼女は瞬く間にトップアイドルへ

中山美穂、若い頃に幼少期の夢をかなえる! ドラマ主題歌という最高の舞台

1985年6月21日、運命の扉が開く。
初主演ドラマ『夏・体験物語』の主題歌となったシングル「C」で、中山美穂さんは鮮烈なデビューを飾った。

中山美穂「C」『夏・体験物語』の主題歌となったシングル「C」で、中山美穂さんは鮮烈なデビューを飾った。

中山美穂「C」『夏・体験物語』の主題歌となったシングル「C」で、中山美穂さんは鮮烈なデビューを飾った。

ドラマ主題歌という最高の舞台で、演技と歌声、二つの才能を余すところなく発揮した中山美穂さん。

中山美穂さん初主演ドラマ『夏・体験物語』

中山美穂さん初主演ドラマ『夏・体験物語』

ドラマ主題歌という最高の舞台で、演技と歌声、二つの才能を余すところなく発揮した中山美穂さん。

デビュー曲は17万枚という驚異的なセールスを記録し、人気は瞬く間にトップアイドルへと急上昇した。

中山美穂の若い頃の戦略!従来の枠にとらわれない、革新的なアイドル像

1985年、「C」でアイドル歌手デビューした中山美穂さんは、スタッフと二人三脚で、従来の「スター・システム」とは一線を画す、彼女だけの道を歩み始めました。

 

デビューから数年は、松本隆・筒美京平コンビによる、ディスコやユーロビートを取り入れた作品が多数ヒット。

「ツイてるねノッてるね」は攻撃的なノリノリ。

1986年 歌のトップテンより 「ツイてるねノッてるね」は攻撃的なノリノリ。

1986年 歌のトップテンより 「ツイてるねノッてるね」は攻撃的なノリノリ。

とても16歳には見えない、大人の顔ですね。
ご本人も年齢よりも上に見られることが、多かったと言っています。

 

「WAKU WAKUさせて」はダンス・ナンバーの傑作として高い評価を受けました。

中山美穂さんの「WAKU WAKUさせて」はダンス・ナンバーの傑作

中山美穂さんの「WAKU WAKUさせて」はダンス・ナンバーの傑作

同時期に斉藤由貴さんも松本隆作品で活躍していましたが、中山美穂さんは文学少女的な斉藤由貴さんに対し、ザ・歌謡曲テイストという対比があったと言われています。

松本・筒美コンビ以外にも、角松敏生、久保田利伸、小室哲哉といった新進気鋭のアーティストが楽曲提供。
ブラック・コンテンポラリーなビート感と、女性の心情を歌ったバラードの両面で、従来のアイドル像を打ち破る革新的な音楽性を展開しました。

サウンド面においても、アイドルの枠にとらわれない中山美穂さんは、80年代後半を代表するアイドル・シンガーへと駆け上がりました。

1985年7月18日中山美穂さん『ザ・ベストテン』のコーナー「スポットライト」に初出演

1985年7月18日:中山美穂『ザ・ベストテン』のコーナー「スポットライト」に初めての出演。

1985年7月18日:中山美穂『ザ・ベストテン』のコーナー「スポットライト」に初めての出演。

テレビに出るのが幼少期からの夢だったため、『ザ・ベストテン』に出るのが最大の目標だった中山美穂さんは夢を現実に叶えた。

 

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伝説エピソード⑥ 2本のラジオのレギュラー番組のパーソナリティとなる

1985年/15歳 中山美穂、ラジオで魅せた等身大の魅力

1985年、アイドル歌手としてデビューを果たした中山美穂は、同年の10月からニッポン放送「中山美穂 ちょっとだけええかっこC」と文化放送「中山美穂のまんまるキューピット」の2つのラジオ番組でパーソナリティを務めました。

ニッポン放送「中山美穂 ちょっとだけええかっこC」

中山美穂さんのニッポン放送「中山美穂 ちょっとだけええかっこC」収録中の様子

中山美穂さんのニッポン放送「中山美穂 ちょっとだけええかっこC」収録中の様子

 

 

文化放送「吉田照美のてるてるワイド」内のコーナー

「中山美穂のまんまるキューピット」

文化放送「吉田照美のてるてるワイド」内のコーナー 「中山美穂のまんまるキューピット」

文化放送「吉田照美のてるてるワイド」内のコーナー 「中山美穂のまんまるキューピット」

 

これらの番組では、当時15歳の中山美穂が等身大の姿でトークを繰り広げ、リスナーから圧倒的な支持を集めました。

当時のエピソード

ニッポン放送「中山美穂 ちょっとだけええかっこC」では、リスナーからの恋愛相談に真摯に答える姿が話題になりました。

両番組とも、中山美穂の飾らないトークと親しみやすいキャラクターが人気を博し、多くのリスナーの心をつかみました。

ラジオを通して、中山美穂はアイドルとしての華やかなイメージだけでなく、親しみやすく自然体な魅力をアピールすることに成功しました。

これらの番組は、中山美穂のタレントとしての幅を広げ、その後の活躍の礎を築いたと言えるでしょう。

 

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