- 中山美穂、若い頃の伝説エピソード15選
- 伝説エピソード① 中山美穂は3歳から伯母夫婦に預けられ育った
- 伝説エピソード② 幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った
- 伝説エピソード③ 12歳の時に原宿でスカウトされる
- 伝説エピソード④ 「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー
- 伝説エピソード⑤ シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー
- 伝説エピソード⑥ 2本のラジオのレギュラー番組のパーソナリティとなる
- 伝説エピソード⑦ 映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初出演
- 伝説エピソード⑧ 日本レコード大賞 最優秀新人賞を受賞する
- 伝説エピソード⑨ 企業からのCMやイメージガールのオファーも殺到する
- 伝説エピソード⑩ ファンレターの数は同性のファンが多かった
- 伝説エピソード⑪ 主演ドラマ『ママはアイドル』で「ブラウン管のクイーン」とも称された
- 伝説エピソード⑫ 番組でヘリに乗った中山美穂には5億円の保険がかけられた
- 伝説エピソード⑬ 「第39回NHK紅白歌合戦」に初出場
- 伝説エピソード⑭ アイドル四天王と称され、1980年代末のアイドル・シーンを席捲した
- 伝説エピソード⑮ 月9枠の常連で主演が7作品と、女性では最多を記録
- 中山美穂の10代の出演作品をプレイバック
- 中山美穂の20代の出演作品をプレイバック
- 中山美穂の若い頃のカワイイ画像特集
- 中山美穂の若い頃のネットの声
- 中山美穂さんに関連する人物の記事
中山美穂、若い頃の伝説エピソード15選
- 中山美穂は3歳から伯母夫婦に預けられ育つ
- 幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った
- 中学校1年生の時に原宿でスカウトされる
- 「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー
- シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー
- 2本のラジオのレギュラー番組のパーソナリティとなる
- 映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初出演
- 日本レコード大賞 最優秀新人賞を受賞する
- 企業からのCMやイメージガールのオファーも殺到する
- ファンレターの数は同性のファンが多かった
- 主演ドラマ『ママはアイドル』で「ブラウン管のクイーン」とも称された
- 番組でヘリに乗った中山美穂には5億円の保険がかけられた
- 「第39回NHK紅白歌合戦」に初出場
- アイドル四天王と称され、1980年代末のアイドル・シーンを席捲した
- 月9枠の常連で主演が7作品と、女性では最多を記録
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伝説エピソード① 中山美穂は3歳から伯母夫婦に預けられ育った
長野県に生まれた中山美穂さん。3歳の時、両親は別れました。
美穂さんの戸籍に実父の名前はないと言う。
そして父親の記憶もなく、「自分の出生については何も聞かなかったし、聞こうと思ったことはない」と語り、現在も知らないままだという。
美穂さんの母親は彼女と妹を東京の伯母夫婦の家に預けた。伯父は美穂さんの母親に助けの手を差し伸べ、「子供に罪はない」と語り、その言葉通りに愛情を注いだ。
美穂さんは、「その優しさに心から感謝している。」と語った。
伝説エピソード② 幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った
彼女にとって、1970代の大人びた歌謡曲を歌うことは何よりの楽しみであり、歌手になることを堂々と豪語していました。
ところが、美穂さんは、ところかまわず大声で歌うために、周囲からはしばしば注意を受けたそうですが、その情熱は揺るぎませんでした。
テレビや雑誌で活躍する彼女たちの姿は、多くの子供たちの憧れの的となっていました。
中山美穂さんの母親は、彼女が小学4年生の時に再婚。
義理の父は音楽好きで、歌手を目指して上京した方でした。
1971年に結成した「敏いとうとハッピー&ブルー」に入る予定だった義理父は、直前でやめたことを悔やんでいたため、美穂さんの歌への憧れには理解があったといいます。
美穂さんはもともと目立ちたがりやで、人前で歌うことを苦にするタイプではありませんでした。
むしろ、人前で歌うことを楽しみ、注目されることを喜びました。
こうした性格も、芸能界を目指す要因となったと考えられます。
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伝説エピソード③ 12歳の時に原宿でスカウトされる
1982年/12歳、小金井市立緑中学校1年生だった中山美穂さんの人生は、原宿で大きく動き始めた。
何気なく訪れた街、原宿でスカウトされ、心の中で「ラッキーッ!」と叫んだ瞬間、彼女の未来は眩い光に包まれた。
中山美穂さんは、スカウトされる前から自ら映画や劇団のオーディションを多数受けていたのです。
そのくらい、当時の彼女は歌手への憧れが強かった。
迷いも不安も消え、中山美穂さんは飛び込む覚悟を決めた。
モデルクラブ・ボックスコーポレーションに所属し、雑誌『花とゆめ』の懸賞ページでモデルデビューを果たした。
それは、彼女にとって夢への第一歩であり、華やかな芸能界へのパスポートだった。
12歳という若さで訪れた転機。中山美穂さんの瞳には、期待と決意が輝いていた。これから始まる、誰も想像できないほどの輝かしい未来を、誰もが予感していた。
中山美穂さん、デビュー前は雑誌を中心に、子役で活躍。
仕事をしながら、夢は歌手!、『ザ・ベストテン』に出るのが最大の目標だった。
伝説エピソード④ 「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー
1985年/15歳:「毎度おさわがせします」でツッパリ少女・のどか役でテレビに出演。
幼い頃から夢見ていた芸能界の道を歩み始めた中山美穂さんにとって、女優としてデビューしたことよりも、テレビに出たことが、幼い頃からの夢を実現させた瞬間でもあり、夢がかなった喜びであったと言う。
ドラマ「毎度おさわがせします」は、思春期の性をテーマにしていて刺激的なシーンやセリフが織り成す鮮烈な内容は、見る者を圧倒し、瞬く間に話題のドラマになる。
可愛く、愛くるしい中山美穂さんですが「ツッパリ少女」と言うことで、セリフもかなり激しい言葉を使い口論します。
15歳の中山美穂さんは体当たりの演技を行い、ドラマは大ヒットし、無名だった「中山美穂」の名前は全国に轟きました。
伝説エピソード⑤ シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー
1985年6月21日/15歳、運命の扉が開く。
初主演ドラマ『夏・体験物語』の主題歌となったシングル「C」で、中山美穂さんは鮮烈なデビューを飾った。
ドラマ主題歌という最高の舞台で、演技と歌声、二つの才能を余すところなく発揮した中山美穂さん。
ドラマ主題歌という最高の舞台で、演技と歌声、二つの才能を余すところなく発揮した中山美穂さん。
デビュー曲は17万枚という驚異的なセールスを記録し、人気は瞬く間にトップアイドルへと急上昇しました。
デビューから数年は、松本隆・筒美京平コンビによる、ディスコやユーロビートを取り入れた作品が多数ヒット。
「ツイてるねノッてるね」は攻撃的なノリノリ。
とても16歳には見えない、大人の顔ですね。
ご本人も年齢よりも上に見られることが、多かったと言っています。
「WAKU WAKUさせて」はダンス・ナンバーの傑作として高い評価を受けました。
同時期に斉藤由貴さんも松本隆作品で活躍していましたが、中山美穂さんは文学少女的な斉藤由貴さんに対し、ザ・歌謡曲テイストという対比があったと言われています。
ブラック・コンテンポラリーなビート感と、女性の心情を歌ったバラードの両面で、従来のアイドル像を打ち破る革新的な音楽性を展開しました。
サウンド面においても、アイドルの枠にとらわれない中山美穂さんは、80年代後半を代表するアイドル・シンガーへと駆け上がりました。
1985年7月18日:中山美穂さん『ザ・ベストテン』のコーナー「スポットライト」に初出演。
テレビに出るのが幼少期からの夢だったため、『ザ・ベストテン』に出るのが最大の目標だった中山美穂さんは夢を現実に叶えた。
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伝説エピソード⑥ 2本のラジオのレギュラー番組のパーソナリティとなる
1985年/15歳、アイドル歌手としてデビューを果たした中山美穂は、同年の10月からニッポン放送「中山美穂 ちょっとだけええかっこC」と文化放送「中山美穂のまんまるキューピット」の2つのラジオ番組でパーソナリティを務めました。
ニッポン放送「中山美穂 ちょっとだけええかっこC」
「15歳の少女の目線で話す内容は、しっかりしたものでした。」
文化放送「吉田照美のてるてるワイド」内のコーナー
「中山美穂のまんまるキューピット」
これらの番組では、当時15歳の中山美穂が等身大の姿でトークを繰り広げ、リスナーから圧倒的な支持を集めました。
「まるで電話で話しているように、身近に感じてリスナーも増えていきました。女子からの人気も絶大でした。」
これらのラジオで中山美穂さんは、タレントとしての幅を広げ、その後の活躍の礎を築いたと言えるでしょう。
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伝説エピソード⑦ 映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初出演
1985年、当時15歳の中山美穂さんは、映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初主演を果たしました。
この作品は、きうちかずひろの人気漫画を原作とした青春学園アクション映画で、当時大ヒットを記録しました。
中山美穂さんは、主人公の泉今日子役を演じ、持ち前の美貌とキュートな魅力を存分に発揮しました。また女優としての才能の片鱗を見せつけました。
共演者とのエピソード
小沢仁志さんが語る、中山美穂さんのエピソード。
1985年のシリーズ第1作で、戸塚高校の「へび次」役をした小沢さんは観覧車で、「泉今日子」役の中山美穂さんを痛めつけるシーンがありました。(髪を切ったり叩いたり)もちろん演技でカツラを使用してます。
しかし、この時監督さんが小沢仁志さんに、「本番では本当に叩け!」と指示をしたと言う。
小沢さんは指示通り中山美穂さんの頬をビンタしたそうです。
終わった後、「ごめんな!」と声をかけたが、すごく泣いていた美穂さんは、観覧車のドアが開いた瞬間「映画なんか大嫌い!」と言って走って帰ったと語る。
1作目で、もう出ないと言った美穂さんを東映がお願いして出てくれることになり3回出演した。
小沢さんは「彼女は、ビーバップが嫌なんだろうな。俺のせいじゃないよ。」と言った。
白井光浩さん(テル)が語る、中山美穂さんのエピソード。
中山美穂と白井光浩が35年ぶりのテレビ共演!「ビー・バップ・ハイスクール」で共演した2人が、バラエティ番組で思い出話に花を咲かせた。
映画「ビー・バップ・ハイスクール」で共演した2人が、35年ぶりのテレビ共演を果たした。
番組の「私のこと覚えていますか?」のコーナーで、白井が登場。
白井さんは、優しい笑顔ではにかみながら「私のこと、覚えてますか?」と尋ねた。
白井さんと言っても、ピンとこない方も多いのでは、でも「城東のテル」と言えば「オー」と思い出す人も多いのではないでしょうか。
映画『ビーバップ・ハイスクール』の2作目「ボンタン狩り」の青の学ラン!
白井さんは「電話かけなくてごめんなさい」と言うタスキをかけて現れました。
中山美穂さんは白井さんに電話番号を渡したのにもかかわらず、連絡がなかったことを当時、マネージャーに言っていたらしい。
しかし、番組でMCの上田さんが「中山さんが、電話番号を渡されたの?」と尋ねられると「そうみたいですね?」と回答、本人は覚えてない様子だった。渡されたと言う白井さんも覚えてないようでこの話はマネージャーさんが知る謎の話となる。
映画デビューの思い出
中山美穂さんは、この映画について以下のように語っています。
「初めての映画撮影で、緊張と不安でいっぱいでした。でも、監督やスタッフの方々に支えられ、なんとか最後まで演じ切ることができました。」
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伝説エピソード⑧ 日本レコード大賞 最優秀新人賞を受賞する
中山美穂さんは、1985年/15歳リリースのシングル「C」でのデビュー曲が17万枚のセールスを記録するヒット曲となり初主演ドラマの主題歌にもなった。
『ビーバップ・ハイスクール』の主題歌となったシングル「BE-BOP-HIGHSCHOOL」もオリコン週間チャートで自己最高の4位のヒット曲になり人気は爆発する。
ヒット記録に『ビーバップ・ハイスクール』の共演者たちがお祝いと応援に駆けつける。
この「BE-BOP-HIGHSCHOOL」で中山美穂さんは念願の『ザ・ベストテン』で初ランクに輝いた。
1985年の年末に、新人アイドルが豊作だった中で、その頂点に達する日本レコード大賞 最優秀新人賞を受賞した。
この年の新人賞ノミネート
本田美奈子「Temptation(誘惑)」
小林明子「恋におちて -Fall in love-」
中山美穂「C」
芳本美代子「雨のハイスクール」
松本典子「さよならと言われて」
お祝いのコメントが流れ、耳を傾けてきく美穂さん。その声の主は・・・。
お祝いのコメントは年の離れた弟さんだった。
さらにサプライズは続き、スタジオに弟が登場する。
歌手を夢見た少女が、見事に夢を現実にした。しかもその夢は頂点に輝いた。
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伝説エピソード⑨ 企業からのCMやイメージガールのオファーも殺到する
テレビ、CM、イメージガールとして活躍した詳細を大公開!
1985年/15歳で、日本レコード大賞で新人賞を受賞した中山美穂さん。
歌手としての飛躍的なスタートを切ると同時に、その人気はテレビ番組、CM、イメージガールなど、様々な方面に波及しました。
ここからは、中山美穂さんが若い頃に活躍したCMを見てみましょう。
1983年 – 1984年/13歳-14歳 TDK AD-S SPLENDOR
中山美穂さんが若い頃はの、80年代は歌などはカセットテープに録音して、家や車などで聞いていました。カセットテープの質の良いのがどんどん出た時代です。
1983年/13歳 明治製菓 コーンスナック スペースコマンダー
1985年/15歳 サントリー ジェットストリーム
1985年 – 1991年/15歳–21歳 日立家電
1986年 – 1989年、1993年/16歳-19歳、23歳 資生堂 インテグレート、ラステア
1986年 – 1997年/16歳-27歳 エスエス製薬 ブロン液W、新エスタックW、新エスタック12、エスタックイブ
1987年 – 1995年/17歳-25歳 ロッテ 雪見だいふく、トッポ、アロマスティック他多数出演
1987年 – 1990年/17歳-20歳 丸昌 晴れ着の丸昌
1988年 – 1989年/18歳-19歳 シチズン ライトハウス
1991年 – 1993年/21歳-23歳 アサヒ飲料 ティークオリティ
1992年 – 1994年/22歳-24歳 日産自動車 パルサー
1992年 – 1994年/22歳-24歳 エステDEミロード
1992年 – 1996年/22歳-26歳 東芝 新・GINGA、快速銀河、パワステヘッド他多数出演
1996年 – 1997年/26歳-27歳 UCC上島珈琲 UCCレギュラーコーヒー
1997年 – 1998年/27歳-28歳 日産自動車 セフィーロ(桃井かおりと共演)
1999年/29歳 ロート製薬
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伝説エピソード⑩ ファンレターの数は同性のファンが多かった
1985年/15歳、華々しくデビューを飾った中山美穂さん。
瞬く間にトップアイドルの座に駆け上がった彼女にとって、無条件に愛してくれるファンの存在は、かけがえのない宝物でした。
ファンレターに込められた想いに、心を込めて返信
中山美穂さんのとこには、全国から1日100通以上のファンレターが届くようになっていた。
その多くが、女子小中学生だった。同性のファンが多かった美穂さん。
その一通一通のファンレターに丁寧に返信していました。ファンからの熱い思いに触れ、自身の歌や演技が届いていることを実感し、深い喜びを感じていたのです。
(こちらは当時、実際に中山美穂さんがファンに送ったハガキです。)
大量のファンレターが届く美穂さんでしたが、コツコツと自身の手で、一人ひとりにお返事を書いていました。
ファンなら、こんなに嬉しいことは、ないですよね。
ある女の子との文通:心を通わせる特別な時間
中には、特別なファンとの出会いもありました。一人の女の子と文通し、互いの悩みや夢を語り合い、心を通わせていったのです。
これは中山美穂さん自身が、語っています。
ライブは特別な場所:ファンとの一体感
ドラマや歌番組とは異なり、ライブはファンとの距離が最も近い場所でした。
観客の熱狂的な声援や、笑顔を直接感じられるライブは、中山美穂さんにとって格別な空間でした。
デビュー当時から現在に至るまで、中山美穂さんは常にファンを大切にし、感謝の気持ちを忘れずにいます。
彼女の歌や演技は、ファンとの絆によって支えられ、多くの人の心を魅了し続けています。
伝説エピソード⑪ 主演ドラマ『ママはアイドル』で「ブラウン管のクイーン」とも称された
ミポリン旋風!ドラマ「ママはアイドル」で伝説の始まり
1987年/17歳、中山美穂さん主演のドラマ「ママはアイドル」が日本中を席巻しました。
最高視聴率28.6%という驚異的な数字を叩き出し、まさに伝説となった作品です。
ドラマで大ブレイク!ミポリン伝説が始まる
このドラマで、中山美穂さんはシングルマザーのアイドル歌手を演じ、そのキュートなルックスとコミカルな演技で視聴者を虜にしました。
ドラマの中で生まれた愛称「ミポリン」は、瞬く間に全国に広まり、中山美穂さん自身もその愛称で親しまれるようになりました。
主題歌「「派手!!!」」も大ヒット!
ドラマ主題歌「「派手!!!」」も大ヒットを記録し、中山美穂さんの代表曲の一つとなりました。
ドラマでは、この曲のキャンペーン活動の様子も描かれ、現実とドラマが融合した斬新な展開も話題を呼びました。
ブラウン管のクイーン降臨!
「ママはアイドル」の成功を皮切りに、中山美穂さん出演のドラマは軒並み高視聴率を獲得。「ブラウン管のクイーン」と呼ばれるようになりました。
「ママはアイドル」は、中山美穂さんにとってまさに飛躍の年となった作品です。このドラマをきっかけに、彼女はトップアイドルとしての地位を確立した。
伝説エピソード⑫ 番組でヘリに乗った中山美穂には5億円の保険がかけられた
フジテレビ系「火曜ワイドスペシャル・オールスターハワイ大旅行団」:豪華絢爛!徹底解剖
番組概要
1987年/17歳、フジテレビ系で放送された「火曜ワイドスペシャル・オールスターハワイ大旅行団」は、当時のトップアイドルである田原俊彦さん、近藤真彦さん、中森明菜さん、小泉今日子さん、そして中山美穂さんという豪華メンバーが勢揃いした、まさに夢のような番組でした。
製作費1億7000万円!豪華絢爛な内容
製作費1億7000万円という当時としては破格の予算をかけて制作されたこの番組は、まさに豪華絢爛そのもの。
ハワイの美しい景色をバックに、アイドルたちが歌ったり踊ったり、様々なアクティビティを楽しんだりする様子が放送されました。
ヘリコプター搭乗と5億円の保険
番組の目玉企画の一つとして、中山美穂さんがヘリコプターに乗ってハワイの景色を空中から楽しむというシーンがありました。
しかし、当時ハワイではヘリコプター事故が相次いでいたことから、中山美穂さんには念のために5億円の保険がかけられました。
中山美穂さん、「オールスターハワイ大旅行団」別枠出演の謎を解き明かす!
1987年7月、フジテレビ系「火曜ワイドスペシャル・オールスターハワイ大旅行団」に中山美穂さんが出演したことは、多くのファンにとって記憶に残る出来事でしょう。
しかし、番組の記録によると、中山美穂さんは他の出演者とは別の枠で番組に参加していたことが判明しました。一体、その理由は何だったのでしょうか?
当時の状況
1987年7月当時、中山美穂さんは歌手としてだけでなく、女優としても活躍していました。主演ドラマ「ママはアイドル」が大ヒットし、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの人気絶頂期を迎えていました。
スケジュールの調整
しかし、そんな中山美穂さんにとって、ハワイへの長期滞在はスケジュール的に厳しい状況でした。ドラマの撮影や歌番組への出演など、国内での活動も多数控えていたため、ハワイへの滞在期間を短くせざるを得なかったのです。
別枠での参加
そこで番組側は、中山美穂さんのスケジュールを考慮し、他の出演者とは別の枠で番組に参加させることを決断しました。
具体的には、他の出演者がハワイで長期滞在している間に、中山美穂さんは短期間だけハワイを訪れ、番組収録に参加するという形式を取りました。
例えば、順番に朝の寝起きを直撃する「寝起きシーン」には登場しますが、アイドルたちが海で泳いだり、釣りを楽しんだり、ペアを組んでゴルフで競ったりするシーンには登場しません。しかも、皆んなで食事をするシーンにも登場しません。
寝起き直撃!リレー形式で続いた。
田原俊彦さんに寝起きを直撃される。
中山美穂さんは、田原俊彦さんに寝起きを直撃される。枕元に置かれたぬいぐるみが17歳の少女らしく可愛かったです。
中山美穂さんは、シブがき隊の部屋に突入! 寝起きシーンにワクワク、ドキドキ。
とても楽しそうです。
まさに、時代を象徴するバブリーな番組でした。
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伝説エピソード⑬ 「第39回NHK紅白歌合戦」に初出場
1988年/18歳 12月31日
国民的大みそかのイベント『第39回NHK紅白歌合戦』に、中山美穂さんが初出場を果たしました。
歌った曲は、シングル14枚目の「Witches」だった。
順番は、女性歌手のトップバッター
当時18歳だった中山美穂さんは、華やかな衣装と圧倒的な歌唱力で、会場を魅了しました。
1985年にデビューした中山美穂さんは、瞬く間にトップアイドルの座に駆け上がりました。
1988年当時、歌手として絶頂期を迎えていた彼女は、紅白歌合戦出場への期待が高まっていました。そんな中、ついに念願叶い、1988年の紅白歌合戦への初出場が決定しました。
当日の様子
紅白当日の中山美穂さんは、シックなブラックのドレスに身を包み、華やかなオーラを放っていました。
当時、中山美穂さんはドラマや映画の撮影で多忙を極めており、紅白歌合戦のリハーサルにあまり参加できなかったといいます。しかし、本番では見事なパフォーマンスを披露し、関係者を驚かせました。
中山美穂さんは、紅白歌合戦出場を「夢舞台」と語っており、本番は緊張しながらも、最高の歌声を届けることができたと満足感を表していました。
紅白歌合戦出場後、中山美穂さんの人気はさらに高まり、国民的歌手に成長を遂げました。
伝説エピソード⑭ アイドル四天王と称され、1980年代末のアイドル・シーンを席捲した
中山美穂、若い頃はアイドル四天王の一人だった。
1980年代、日本のアイドル界は空前の盛り上がりを見せていました。その中でも、特に人気を博したのが「アイドル四天王」と呼ばれる4人の女性アイドルです。
アイドル四天王とは
アイドル四天王は、中山美穂さん、南野陽子さん、工藤静香さん、浅香唯さんの4人を指す呼び名です。
彼女たちはそれぞれ個性的な魅力を持ち、瞬く間にトップアイドルの座に駆け上がりました。
中山美穂さんは、抜群の歌唱力と演技力、そしてキュートなルックスで、多くのファンを魅了しました。
特に、ドラマ「ママはアイドル」で大ブレイクし、その愛称である「ミポリン」は全国に広まりました。
四天王それぞれの個性
中山美穂さん: キュートなルックスとパワフルな歌声で、アイドルの王道を行く存在。
南野陽子さん: 健康的な美貌と明るく元気なキャラクターで、親しみやすいアイドル。
工藤静香さん: クールな美貌と抜群の歌唱力で、大人っぽい魅力を持つアイドル。
浅香唯さん: 可憐なルックスと女優としての演技力で、幅広い層から支持されたアイドル。
アイドル四天王は、互いにライバルでありながら、親友同士という関係でした。
それぞれが切磋琢磨し、高みを目指す姿は、多くのファンを熱狂させました。
お互いの家に遊びに行くなどの交流もあったといいます。
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伝説エピソード⑮ 月9枠の常連で主演が7作品と、女性では最多を記録
中山美穂、若い頃のドラマで月9の女王に君臨!時代を彩ったミポリン!
1989年/19歳、中山美穂さん主演のドラマ「君の瞳に恋してる!」が、フジテレビ月9枠で放送され、大ヒットとなりました。
このドラマは、中山美穂さんにとって月9初主演作品であり、その後の彼女の飛躍の足掛かりとなった重要な作品です。
月9ドラマの重要性
当時、日本のテレビドラマ界において、フジテレビ月9枠は最も注目度の高い枠の一つでした。
多くのヒットドラマを生み出し、視聴率競争の激戦区となっていた月9枠で主演を務めることは、まさに時代のヒロインとなることを意味していました。
「君の瞳に恋してる!」の成功を皮切りに、中山美穂さんはその後も月9枠の常連となり、主演作品は7本を数え、担当した主題歌は4作品となる。
順番に紹介します。
「月9」作品1番目
1989年1月/19歳 君の瞳に恋してる! 主演・高木瞳
「月9」作品2番目
1990年10月/20歳 すてきな片想い 主演・与田圭子 (主題歌:愛してるっていわない!)
「月9」作品3番目
1991年10月/21歳 逢いたい時にあなたはいない… 主演・大木美代子 (主題歌:遠い街のどこかで…)
「月9」作品4番目
1995年1月/25歳 For You 主演・吉倉弥生 (主題歌:HERO)
「月9」作品5番目
1996年10月/26歳 おいしい関係 主演・藤原百恵 (主題歌:未来へのプレゼント)
「月9」作品6番目
2000年1月/30歳 二千年の恋 主演・真代理得
「月9」作品7番目
2002年10月/32歳 ホーム&アウェイ 主演・中森かえで
月9枠の主演作品は7本!
担当した主題歌は4作品でした。
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中山美穂の10代の出演作品をプレイバック
1985年1月:「毎度おさわがせします」
森のどか役 15歳
1985年8月:「夏・体験物語」
主演・杉本由起役 15歳
1985年12月:[映画] 「ビー・バップ・ハイスクール」
ヒロイン・泉今日子役 15歳
ヒロイン・泉今日子役 16歳 1986年10月:「セーラー服反逆同盟」
主演・山県ミホ役 16歳
1986年10月:「な・ま・い・き盛り」
主演・木下加代子役 16歳
1987年4月:「ママはアイドル」
主演・中山美穂(本人役)16歳
1987年10月:「おヒマなら来てよネ」
主演・佐竹希望、広瀬洋子(二役)17歳
1988年7月:「若奥さまは腕まくり!」
主演・広瀬友子役 18歳
1989年1月:「君の瞳に恋してる!」
主演・高木瞳役 19歳
1989年8月:[映画] 「どっちにするの。」
主演・桑田伸子役 19歳
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中山美穂の20代の出演作品をプレイバック
1990年1月:「卒業」
主演・木下かおり 20歳
1990年10月:「すてきな片想い」
主演・与田圭子 20歳
1991年8月:[映画] 「波の数だけ抱きしめて」
主演・田中真理子 21歳
主演・大木美代子 21歳
1992年1月:「NHK大河ドラマ信長 KING OF ZIPANGU」
ねね(木下藤吉郎の妻)22歳
1992年10月:「誰かが彼女を愛してる」
主演・高野つばさ 22歳
1994年1月:「もしも願いが叶うなら」
主演・毛利未来 24歳
1995年1月:「For You」
主演・吉倉弥生 25歳
1995年3月:[映画] 「Love Letter」
主演・渡辺博子 / 藤井樹 25歳
1996年10月:「おいしい関係」
主演・藤原百恵 26歳
1997年10月:[映画] 「東京日和」
主演・島津ヨーコ 27歳
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中山美穂の若い頃のカワイイ画像特集
永遠のミポリン伝説
デビューから30年以上経った現在も、中山美穂さんは第一線で活躍し続けています。その美貌と才能は衰えることなく、多くの人々を魅了し続けています。
ここでは、そんな中山美穂さんの若い頃の可愛い画像を中心に紹介します。
13歳とは思えない大人の魅力を感じます。
イヤだと言っているのに、毎日のように電話してくる、そういうのイヤ。
冷たいくらいのコが好き・・・。美穂。
「笑っていいとも」にゲスト出演した時、当時18歳。
眩しいくらいに、キラキラした瞳、かわいいです。
1985年、当時15歳。大人びた表情ですね。時より見せる笑顔が本当に天使みたいに素敵!
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中山美穂の若い頃のネットの声
若い頃の中山美穂は世界一可愛いかもしれないってくらい可愛い🖤 pic.twitter.com/Hn24caQs8L
— Ⓜ︎ℹ︎otanman (@mimitan16449033) December 4, 2019
ママはアイドル!観てる
若い頃の中山美穂可愛いよねぇ pic.twitter.com/Vp4DPJlk2o— ゆーだい (@42qiiZMaEDcV1IA) March 12, 2023
腹痛で寝込んでる間Netflixでビーバップハイスクールを見てたんだけど
中山美穂さんの若い頃がマブ過ぎてヤバかったわ…
顔は勿論可愛いけど
目が綺麗…いや…
目がめちゃめちゃ可愛い…
こんな目で見つめられたら何でも許しちゃうわ俺…。。 pic.twitter.com/TZlvg8XrgI
— @阿仁異【極悪いちご団】 (@anny696) December 5, 2021
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中山美穂さんに関連する人物の記事
80年代のアイドル界は盛り上がっていた、その中でも、特に人気を博したのが中山美穂さんを含む「アイドル四天王」と呼ばれる4人の女性アイドルです。
そのうちの一人である南野陽子さんの記事も合わせてご覧ください。
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