- 小泉今日子 若い頃の伝説エピソード10選
- 伝説エピソード① 小泉今日子は「スター誕生」に出場していた
- 伝説エピソード② デビュー曲「私の16歳」には裏話しがあった
- 伝説エピソード③ 16歳で松田聖子と中森明菜に続くアイドルになる
- 伝説エピソード④ 小泉今日子は事務所に無断でショートヘアにした
- 伝説エピソード⑤ 小泉今日子 若い頃「CMの女王」と言われた
- 伝説エピソード⑥ 小泉今日子「あんみつ姫」でドラマ初主演
- 伝説エピソード⑦ 小泉今日子「渚のはいから人魚」でトップアイドル
- 伝説エピソード⑧ 18歳で第35回NHK紅白歌合戦に初出場する
- 伝説エピソード⑨ 19歳のドラマ主演作『少女に何が起こったか』は、高視聴率で代表作となる
- 伝説エピソード⑩「徹子の部屋」に出演しなかったのは事務所の意向だった
- 小泉今日子 10代の出演作品をプレイバック
- 小泉今日子 20代の出演作品をプレイバック
- 小泉今日子 若い頃の可愛い画像特集
- 小泉今日子 若い頃のネットの声
- 小泉今日子さんに関連する人物の記事
小泉今日子 若い頃の伝説エピソード10選
- 小泉今日子は「スター誕生」に出場していた
- デビュー曲「私の16歳」には裏話しがあった
- 16歳で松田聖子と中森明菜に続くアイドルになる
- 小泉今日子は事務所に無断でショートヘアにした
- 小泉今日子 若い頃「CMの女王」と言われた
- 小泉今日子「あんみつ姫」でドラマ初主演
- 小泉今日子「渚のはいから人魚」でトップアイドル
- 18歳で第35回NHK紅白歌合戦に初出場する
- 19歳のドラマ主演作『少女に何が起こったか』は、高視聴率で代表作となる
- 「徹子の部屋」に出演しなかったのは事務所の意向だった
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伝説エピソード① 小泉今日子は「スター誕生」に出場していた
小泉今日子さんが15歳で『スター誕生!』に出場し、合格した時のエピソードはいくつかあるのでそれを紹介します。
視聴者参加型の公開オーディション番組で、普通の子がスターになれる番組として絶大な人気となりました。
学校の友達と遊んだ
「神奈川の学校だったから東京は近いので、皆んなでハガキを出しました。」
「忘れた頃に一次通過のハガキがきたんです。」
と当時を語った。
運命のオーディション
小泉さんはもともと歌手になることを目指していたわけではなく、姉に連れられて『スター誕生!』のオーディションに行ったというエピソードがあります。
姉は郷さんに会えずに不機嫌で、帰ってしまったんです。会場に戻り最終審査の時は、姉に対して無責任だ!一人で帰れるかな?と考えて全く、緊張しませんでした。」
歌ってみるとその才能は審査員たちの目にとまり、見事合格を果たしました。まさに運命のオーディションだったと言えるでしょう。
決戦大会のハプニング
決戦大会の当日、小泉今日子さんは後楽園ホールの裏側で、ハイヒールのかかとを引っ掛けて、階段の一番上から一番下まで落っこちたと言う。
スネを打って痛みがあったが、無傷だったと語る。
この決勝大会でも、痛みがあったせいで全く緊張しなかったという。
そしたら、最終審査で3社のスカウトをいただいたんです。と語った。
石野真子との意外な接点
小泉今日子さんが『スター誕生!』で歌った曲は、石野真子さんの「彼が初恋」でした。
合格をきっかけに、芸能界へ!
この合格をきっかけに、小泉今日子さんは石野真子さんが当時所属していた芸能事務所「バーニングプロダクション」と、レコード会社「ビクター音楽産業」と契約。こうして、小泉今日子さんの芸能界でのキャリアが始まりました。
小泉今日子さんが『スター誕生!』でデビューを果たしたのは、まさにシンデレラストーリーと言えるでしょう。 15歳の少女が夢を追いかけ、スターダムへの階段を駆け上がっていきます。
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伝説エピソード② デビュー曲「私の16歳」には裏話しがあった
1982年/16歳でシングル「私の16才」でアイドル歌手としてデビュー。
キャッチフレーズは「微笑少女。君の笑顔が好きだ」。
小泉今日子さんのデビュー曲「私の16才」秘話
「私の16才」で鮮烈なデビューを飾った小泉今日子さん。当時のエピソードはこのデビュー曲にもあります。
運命の出会い
デビュー曲「私の16才」は、元々森まどかさんが1978年「ねえ・ねえ・ねえ」という曲で2枚目のシングルとしてリリースした曲でした。
小泉今日子さんの声に合わせてキーを変えただけで歌詞はそのまま、タイトルを変えてデビュー曲としました。
まさに運命の出会いと言えるでしょう。
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伝説エピソード③ 16歳で松田聖子と中森明菜に続くアイドルになる
小泉今日子さんが築いた、新時代のアイドル像
『別冊宝島』の調査によると、1980年代の小泉さんのシングル総売上枚数は、年間ベスト50位以内のものに限っても279.1万枚に達し、年間50位以内に入った曲数は10曲と、いずれも当時女性アイドルの中で3位という快進撃を遂げました。
1982年3月/16歳 私の16才 22位(27週)
1982年7月/16歳 素敵なラブリーボーイ 19位(14週)
1982年9月/16歳 ひとり街角 13位(17週)
この頃、小泉今日子さんは「アイドル」であることを考え始めます。
しかし、松田聖子や中森明菜のような圧倒的な歌唱力には敵わないと感じた小泉さんは、別の道を歩むことを決意します。
小泉今日子さんは、自身が敬愛する松田聖子さん、中森明菜さんとの違いについて、自身の言葉で語りました。
聖子さんの曲は大好きで、アルバムの曲全て歌えるほど聴き込んでいる。
衣装や可愛らしさも完璧で、憧れの存在。
可愛らしい歌声に似合った乙女チックな歌詞でファンを魅了しました。
明るい太陽のように清々しいイメージでした。
明菜さんの自己演出力や歌の表現力は素晴らしい。
聖子さんとは対照的な存在。
歌唱力も抜群で、その歌声に惹きつけられました。
聖子さんが太陽なら、明菜さんは月という感じです。
小泉さんが選んだ道は、型破りな「普通の女の子らしさ」でした。
「春風の誘惑」のジャケットは「聖子ちゃんカット」ですがバッサリショートヘアにしました。
1983年2月/17歳 春風の誘惑 10位(12週)
当時の女性歌手の中では、松田聖子、中森明菜に次ぐ人気を誇りました。
1983年5月/17歳 まっ赤な女の子 8位(16週)
1983年7月/17歳 半分少女 4位(14週)
1983年11月/17歳 艶姿ナミダ娘 3位(17週)
1984年1月/18歳 クライマックス御一緒に 4位(12週)
1984年3月/18歳 渚のはいから人魚 1位(13週)
1984年6月/18歳 迷宮のアンドローラ 1位(15週)
1984年9月/18歳 ヤマトナデシコ七変化 1位(13週)
1984年11月/18歳 ヤマトナデシコ七変化(Long Version) 5位(9週)
1984年12月/18歳 The Stardust Memory 1位(13週)
1985年4月/19歳 常夏娘 1位(11週)
1985年6月/19歳 ハートブレイカー 6位(6週)
1985年7月/19歳 魔女 1位(10週)
1985年11月/19歳 なんてったってアイドル 1位(15週)
1986年4月/20歳 100%男女交際 2位(9週)
1986年7月/20歳 夜明けのMEW 2位(14週)
1986年11月/20歳 木枯しに抱かれて 3位(17週)
1987年2月/21歳 水のルージュ 1位(10週)
1987年5月/21歳 水のルージュ(DANCING MIX) 4位(4週)
1987年7月/21歳 Smile Again 2位(12週)
1987年10月/21歳 キスを止めないで 1位(13週)
1988年3月/22歳 GOOD MORNING-CALL 2位(12週)
1988年10月/22歳 快盗ルビイ 2位(12週)
1989年5月/23歳 Fade Out 2位(9週)
1989年11月/23歳 学園天国 3位(21週)
当時のアイドル像とは一線を画す自由奔放なスタイルで、常識を覆すような行動を貫いたのです。
その姿は多くの若者たちの共感を呼び、違うかたちの女性アイドル像を築き上げました。
聖子さんや明菜さんという二人に挟まれたことで、小泉今日子というキャラクターが生まれた。
周りのアイドルとは違う、自分らしさを表現するために、スタッフと試行錯誤した。普通じゃない、ぶっ飛んでいると言われることもあるが、それが自分らしさ常識を壊し、街を歩いているような等身大のカッコよさを目指した。
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伝説エピソード④ 小泉今日子は事務所に無断でショートヘアにした
小泉今日子さんの「無断ショート事件」
事件の背景1982年/16歳で歌手デビューを果たした小泉今日子さんは、当時空前のアイドルブームを巻き起こしていた松田聖子さんの「聖子ちゃんカット」で人気を博していました。
しかし、小泉さん自身はこの定型的なイメージにとらわれることに懸念を抱えていたと思われます。
決断と実行
ある日、小泉今日子さんは大胆な決断を下します。所属事務所の許可を得ることなく、人気が急上昇していた最中、彼女は髪をバッサリとショートカットにしてしまいました。これが事務所を騒がせた「無断ショート事件」の始まりです。
その頃の状況
当時、小泉今日子さんはアイドル雑誌「DUNK」のイメージキャラクターに選ばれていました。
1984年5月号の同誌では、彼女を可愛らしく表紙を飾る準備が進められていましたが、その刈り上げヘアスタイルにより、予定は大幅に変更されることとなりました。
小泉今日子さんは学生服を着用して登場し、世間を驚かせました。
この頃から、小泉さんは自らを「コイズミ」と呼ぶようになります。
ある日、パッとした「みんなおんなじ髪型してる!」「私なんでこんな髪型してるんだろう。」
(ジョジ後藤さん、当時21歳:1961年生まれ)
まさか、こんなに切ると思わなかったみたいで、社長さん腰抜かしてね。
次の新曲の衣装ができていてフリフリのお花いっぱいの衣装だったから仕方ないからその時は、その衣装で歌いましたよ。
その衣装がこちらの、「春風の誘惑」のお花がいっぱいのスカートフリフリです。
当時の小泉今日子さんは、こうした「ぶりっ子」衣装が苦手でした。
それが、「真っ赤な女の子」です
この出来事は、小泉さんのキャリアにおいて重要な転換点となりました。当初は女の子らしいアイドル路線で売り出されていましたが、ボーイッシュなイメージで新たな人気を博し、自分らしさを追求するアーティストへと成長していったのです。
小泉今日子さんがトップアイドルとなり、「キョンキョンカット」が流行
小泉今日子さんは、みんなと同じアイドルの形がイヤで、無断でショートヘアにし、ボーイッシュなイメージで人気を博し、瞬く間にトップアイドルの仲間入りを果たしました。
当時、小泉さんのトレードマークであったショートカットは「キョンキョンカット」と呼ばれ、少女たちの間で真似する流行が生まれました。
「聖子ちゃんカット」でデビューした少女が「「キョンキョンカット」を生み出した瞬間です。
この流行は、小泉さんの影響力がいかに大きかったかを証明するものです。
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伝説エピソード⑤ 小泉今日子 若い頃「CMの女王」と言われた
小泉今日子さんと企業:神様仏様も真っ青!?
小泉今日子さんは、まさに「CMの女王」でした。彼女を起用した商品は軒並み売れ行きがアップし、中には「売上2割増」という驚異的な数字を叩き出したものもありました。
当時、企業の広報担当者や広告代理店の間では、「神様仏様小泉様」という言葉が流行するほど、彼女のCM効果は絶大だったのです。
1982年/16歳 江崎グリコ「アーモンド&セシルチョコレート」
1983年/17歳 ライオン「エメロン エチケットシャンプー」
1984年/18歳 ビクター 「CREATION」
1985年 – 1990年/19歳-24歳 武田薬品工業 「ベンザエース」
1985年/19歳 ロッテ「コアラのマーチ」
1986年/20歳 集英社「集英社文庫」
1986年 – 1994年/20歳-28歳 味の素「クノールカップスープ」
1987年/21歳 カネボウ化粧品「アクアルージュ」
1987年 – 1993年/21歳-27歳 三菱電機「霧ヶ峰」
1988年 – 1998年/22歳-32歳 資生堂「スーパーマイルドシャンプー&リンス」
まさに、企業にとって「神様仏様」のような存在だったと言えるでしょう。
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伝説エピソード⑥ 小泉今日子「あんみつ姫」でドラマ初主演
小泉今日子、ショートカットでブレイク!
ドラマに歌に大活躍。「まっ赤な女の子」も大ヒット。
ドラマ 「あんみつ姫」
時代を超えて大騒動!お菓子の名前のキャラクターが活躍する、笑いの時代劇コメディ!
やんちゃで、お転婆で、おちゃっぴいな「あんみつ姫」が、江戸城内外を大騒ぎする時代劇コメディ。
「あんみつ姫」はその後、全3回にわたってシリーズ化されるほどの大人気作品となったのです。
お菓子の名前のキャラクターたちが登場したり、江戸時代を舞台にしながら現代のものが混在したりと、まさにユニークな作品です。
さらに、発表当時の出来事や流行が作中に数多く登場するのも特徴で、まさに時代を超えた笑いのジェットコースターに乗っているような感覚を味わえます。
今、見ても楽しく笑える作品だと言えます。
「ショートカット」へのイメージチェンジと 「まっ赤な女の子」のヒット、そして「あんみつ姫」の主演という、まさに三つ揃いとなったこの出来事が、小泉さんさんを一躍脚光を浴びるトップアイドルへと押し上げたのです。
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伝説エピソード⑦ 小泉今日子「渚のはいから人魚」でトップアイドル
1984年3月/18歳、小泉今日子さんはで9枚目のシングル「渚のはいから人魚」をリリースしました。
そしてついに、念願のオリコン週間チャート首位を獲得する快挙を成し遂げたのです。
この曲の売り上げは33万枚を超え、小泉さんは一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。
「渚のはいから人魚」は、キャッチーなメロディーと小泉さんさんのキュートな歌声が光る、まさに80年代を代表する名曲です。
この曲のヒットにより、小泉今日子さんは国民的な人気アイドルとなり、その後の活躍へと繋がっていくのです。
伝説エピソード⑧ 18歳で第35回NHK紅白歌合戦に初出場する
小泉今日子さんの紅白初出場:衝撃のデビューと、その後の快進撃
1984年/18歳、小泉今日子さんは、「第35回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしました。
当時、彼女は歌手デビューからわずか2年という新人でしたが、その人気はすでにとどまることを知らず、紅白歌合戦出場はまさに必然と言えるでしょう。
初出場の曲は「渚のはいから人魚」。 この曲は、小泉さんさんにとって初のオリコン週間チャート首位を獲得した大ヒット曲であり、まさに代表曲と言える存在です。
当日の小泉今日子さんは、ピンクのミニスカートとニー白のタイツから、チラチラ見える「見せパン」という、当時としてはかなり斬新な衣装で登場しました。
そして、持ち前のキュートな歌声と天真爛漫な笑顔で、会場を魅了しました。
この紅白歌合戦出場をきっかけに、小泉今日子さんはさらに人気に火がつき、瞬く間にトップアイドルの座を射止めることになります。
その後も、紅白歌合戦には5年連続で出場し、毎回圧倒的なパフォーマンスで視聴者を釘付けにしました。
小泉さんの紅白初出場は、まさに印象に残る瞬間だったと言えるでしょう。
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伝説エピソード⑨ 19歳のドラマ主演作『少女に何が起こったか』は、高視聴率で代表作となる
小泉今日子さん主演ドラマ「少女に何が起こったか」の高視聴率の理由!
1985年放送の連続テレビドラマ「少女に何が起こったか」は、当時トップアイドルだった小泉今日子さんの主演作として大きな注目を集め、高視聴率を記録しました。
本作で小泉今日子さんは、北海道の漁村で育った天真爛漫な少女から、一流ピアニストを目指すべく上京する野川雪を演じました。
持ち前の明るさと瑞々しい演技力で、多くの人々を魅了しました。
母から「父は有名なピアニストの東幸彦」と聞いていた。
最後の言葉は亡き父のようなピアニストになること、雪は、東京に旅立ちます。
亡き父が、有名なピアニストであることを知った雪は、一流ピアニストを目指して上京し、様々な困難に立ち向かいながら成長していくという、シンデレラストーリーです。
ストーリー展開もドロドロとした人間模様があり、魅力の一つです。
夢に向かって努力する雪の姿に、多くの視聴者が共感しました。
東京に着いた雪は、音楽大学学長に会いに行く。
昔、雪の母はこの家で使用人として働いていました。その時に長男との結婚を反対し二人を家から追い出したのがこの学長でした。(雪のお祖父様)
しかし、学長の取り計らいで、親子関係が判明するまでこの家においてもらえることになる。
でもそれは、使用人としてだった。
本作は、華やかな音楽業界の裏側をリアルに描いた作品としても評価されています。
コンクールや音楽事務所での人間関係など、厳しい現実も描かれており、ドラマに深みを与えました。
小泉今日子さんのほかにも、風間杜夫さん、市毛良枝さん、辰巳琢郎さん、賀来千香子さんなど、豪華キャストが出演していました。
演技派俳優たちの競演も見どころの一つでした。
1980年代は、アイドル全盛期であり、本作もその時代の空気感を反映した作品と言えるでしょう。
当時の若者の夢や希望を描き、多くの視聴者の共感を呼んだのです。
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伝説エピソード⑩「徹子の部屋」に出演しなかったのは事務所の意向だった
小泉今日子さんと黒柳徹子さんは、長い間親交があり、歌番組「ザ・ベストテン」などで共演していました。
しかし、小泉今日子さんが黒柳徹子さんの司会を務めるトーク番組「徹子の部屋」に出演したのは、2016年6月24日(小泉今日子/50歳)の放送が初めてでした。
なぜ小泉今日子さんは「徹子の部屋」に出演していなかったのでしょうか?
デビュー35年目にしてようやくこの方針が解禁され、小泉今日子さんは念願の「徹子の部屋」初出演を果たしました。
事務所がトーク番組出演を控えていた理由は、いくつか考えられます。
アイドルとしてのイメージ戦略
当時、小泉今日子さんはアイドルとして活動しており、事務所としてはトーク番組での発言でアイドルとしてのイメージが損なわれることを懸念していた可能性があります。
歌唱力への自信
小泉今日子さんは元々歌手志望ではなく、女優志望だったという説もあります。そのため、事務所としては歌唱力よりも演技力を売り出すために、トーク番組よりもドラマや映画への出演を優先していた可能性があります。
小泉今日子さんの性格
小泉今日子さんは、天真爛漫で自由奔放な性格で知られています。若い頃から小泉今日子さんの発言で、SNSが炎上したことがあります。そのため、事務所としてはトーク番組で発言することを心配していた可能性もあります。
小泉今日子 10代の出演作品をプレイバック
1983年 /17歳 「あんみつ姫」シリーズ
主演・あんみつ姫 役
1984年/18歳 [映画] 「生徒諸君!」
主演・北城尚子 / 北城真理子 役(二役)
1985年/19歳 少女に何が起ったか
主演・野川雪 役
大映ドラマ独特のストーリー展開です。
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小泉今日子 20代の出演作品をプレイバック
1986年/20歳 藤子不二雄の夢カメラ 「第3話 じゃんけんぽん」
主演・田所鏡子/田所照子 役(二役)
双子だった二人、7歳のひな祭りに母にお使いを頼まれて、「じゃんけん」をした。
「じゃんけん」に負けた照子がお使いにいくことになる。
しかし・・・。
1986年/20歳 [映画] ボクの女に手を出すな
主演・黒田ひとみ 役
1988年/22歳 [映画] 快盗ルビイ
主演・加藤留美 役
また、小泉今日子さんの華麗な衣装も見ていて楽しいです。
1989年/23歳 明日はアタシの風が吹く
主演・アヤ 役
1989年/23歳 愛しあってるかい!
ヒロイン・椎名吹雪 役
フジテレビの「月9」ドラマ。
東京の渋谷にある南青山男子校の教師・一平(陣内孝則)は痴漢に間違われたことで、
近くにある表参道女子校の教師・吹雪(小泉今日子)と知り合います。
それをきっかけに、両校の教師(柳葉敏郎・近藤敦、藤田明子)たちと、生徒を巻き込み様々な騒動が起こる。
1991年/25歳 パパとなっちゃん
主演・志村夏実 役
1992年/26歳 ヒマラヤの赤い自転車
主演・井上衣里香 役
1992年/26歳 あなただけ見えない
主演・川島恵 役
1992年/26歳 [映画 ]病は気から 病院へ行こう2
主演・安雲祐子 役
1993年/27歳 瞳に星な女たち
主演・萌子 役
1995年/29歳 まだ恋は始まらない
主演・神崎茜/お由紀 役(二役)
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小泉今日子 若い頃の可愛い画像特集
小泉今日子さんの若い頃の可愛い画像を集めてみました。
小泉今日子さん16歳 バラエティー番組「バリンコ学園」 コントでのワンシーン。
小泉今日子さん16歳 雑誌の撮影シーン
「8時だよ!全員集合」のコントでのシーン
「8時だよ!全員集合」のコントでの小泉今日子さん(18歳)
小泉今日子さん17歳 バラエティー番組「バリンコ学園」 コントでのワンシーン。
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小泉今日子 若い頃のネットの声
小泉今日子さん、一度、若い頃に行きつけの飲み屋で、一緒になったことありますよ、強烈に可愛いい人でしたが、数年前に氣志團万博を見に行った時、ステージを見ましたが、変わらず可愛い人でしたね
— おやかたつむり (@oyakatatumuri) October 26, 2021
最近You Tubeで80年代のドリフ見てるんだけども、やっぱり面白いね。
最高の笑いをありがとう。
しかし、この時代の女優さんやアイドルめっちゃ可愛いな。
小泉今日子さんの若い頃が特に可愛すぎる。
めっちゃタイプ!— S20K00Y (@S20K00Y) March 22, 2023
小泉今日子の若い頃めっちゃ可愛い🤣🤣🤣
— やぴ (@macrobiyumi) March 29, 2020
小泉今日子さんに関連する人物の記事
小泉今日子さんと、中山美穂さんは歌番組はもちろんのことドラマ、バラエティ番組などでも
共演しています。
同じ世代を駆け抜けた、中山美穂さんの記事も合わせてご覧下さい。
「愛しあってるかい!」で共演した柳葉敏郎さんの記事もあります。是非合わせてご覧ください。
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