- 【画像】黒柳徹子 若い頃のドラマ出演!懐かしの作品と秘蔵写真の紹介
- 黒柳徹子さんの幼少期から青春時代
- 黒柳徹子 若い頃 ドラマ・司会・映画などの出演
- 1958年/25歳「英語会話」
- 1959年/26歳「夜の仲間」
- 1961年/28歳「魔法のじゅうたん」 司会
- 1962年/29歳 [映画] 「ちんじゃらじゃら 物語」
- 1961年 – 1964年/28歳-31歳「若い季節」 黒金徹子 役
- 1965年/32歳 「夢であいましょう 」1965年度はホステス役(司会)担当
- 1966年/33歳 「まんが海賊クイズ」 民放初出演、司会
- 1966年/33歳 [映画] 喜劇 「駅前漫画」 ミミ子 役
- 1968年 – 1971年/35歳-38歳 「クイズ大作戦」 司会
- 1969年/36歳「わが歌声の高ければ」
- 1970年 – 1971年/37歳-38歳 「ステージ101」 司会
- 1970年/37歳 おさな妻 高山(箱崎)由紀子役
- 1973年 – 1974年/40歳-41歳「銀座わが町」 篠宮八重 役
- 1975年/42歳 「おしゃべり音楽会」 司会
- 黒柳徹子の若い頃のカワイイ画像特集
- 黒柳徹子の若い頃のネットの声
- 黒柳徹子さんに関連する人物の記事
【画像】黒柳徹子 若い頃のドラマ出演!懐かしの作品と秘蔵写真の紹介
日本のテレビ界を代表する存在である黒柳徹子さん。
その独特なキャラクターと長年にわたる活躍で、多くの人々に愛されていますが、黒柳徹子さんの若い頃の活動についてはご存知でしょうか?
実は、黒柳さんは若い頃から数多くのドラマに出演し、その演技力でも注目を集めていました。
また、彼女はテレビやラジオの司会者としても早くから頭角を現し、多才な才能を発揮していました。
例えば、彼女が出演したドラマやバラエティ番組は視聴者から高い評価を受け、多くのファンを魅了しました。
では、黒柳徹子さんの誕生から見ていきましょう。
黒柳徹子さんは1933年に東京で生まれました。幼少期から活発で好奇心旺盛な性格であり、そのエネルギーと魅力は後の芸能活動に大きな影響を与えました。
彼女の家庭環境や教育背景がどのように彼女のキャリアに影響を与えたのか、詳しく探ってみましょう。
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黒柳徹子さんの幼少期から青春時代
東京の華やかなりし赤坂に、音楽家でありヴァイオリニストとして名を馳せた黒柳守綱と、エッセイストとして知られる黒柳朝の長女として、黒柳徹子は誕生しました。
それは、1933年(昭和8年)8月9日のことでした。
黒柳徹子さんの両親
父から受け継いだ音楽の才能と、母から受け継いだ文学的感性は、幼き徹子の心の中に深く根付きました。
この恵まれた環境の中で、彼女は自由な感性を育み、のちに日本を代表する女優、タレント、司会者、エッセイストへと成長していくのです。
自由奔放な性格から「問題児」とされ、小学校1年生の時に退学を余儀なくされました。
しかし、これが彼女の人生の転機となります。退学後に転校したトモエ学園では、ユニークな教育方針のもとで個性を尊重される教育を受け、その後の彼女の豊かな感性を育む場となりました。
クマのぬいぐるみを抱いて祖母の家の前で撮影。母親の手作りワンピースを着用しています。
太平洋戦争末期の1945年3月/12歳、東京大空襲をきっかけに、黒柳さんは青森県三戸郡諏訪ノ平へ疎開することになります。
戦争の混乱の中での生活は大変なものでしたが、1945年8月/12歳の終戦後には東京に戻り、再び学びの場へと戻ることができました。
黒柳徹子さん 香蘭女学校時代
香蘭女学校中等科・高等科へと進学。ここでの学びは、黒柳さんの知性と教養を深める重要な時期となりました。
そして、音楽への情熱に導かれ、東洋音楽専門学校(現在の東京音楽大学)声楽科に進学し、卒業しました。この時期に培われた音楽の才能と学びは、後の黒柳徹子さんの多彩なキャリアの基盤となりました。
「母親になった時に子供に絵本を読み聞かせられるようになりたかったから」という心温まるものでした。
右から
里美恭子さん・ヤン坊
黒柳徹子さん・トン坊
横山通代さん・ニン坊
新村礼子さん・トマト
「ヤン坊・トン坊・ニン坊」でデビューして一躍有名になった。
1952年/19歳、アメリカのテレビプロデューサーの講演を聞いたことがきっかけで、プロの女優としての意識に目覚めます。
そして翌年の1953年1月/20歳、NHK放送劇団に入団し、テレビ女優第1号としてデビューを果たしました。
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黒柳徹子 若い頃 ドラマ・司会・映画などの出演
黒柳徹子さんの若い頃のドラマ出演歴を振り返り、懐かしの作品とともに秘蔵写真を紹介します。
黒柳徹子さん
NHK放送劇団入社当時
1958年/25歳「英語会話」
黒柳徹子さん/25歳
「英語会話」
テキストなども作られて、当時とても人気だった。
飛行機の中でのシーン。外人の男の子のUFOが黒柳徹子さんの頭に当たりました。徹子さんの隣の男性が「Here You are」と言って男の子にUFOを返します。ここで、徹子さんと男性の英語の意味や使い方を話します。
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1959年/26歳「夜の仲間」
黒柳徹子さん/26歳
「夜の仲間」
ドラマパートでは、毎回異なるストーリーのドラマパートが放送されていました。
黒柳徹子さんは、様々な役柄を演じ、その演技力は高い評価を得ました。
ドラマパートは、番組にバラエティ性を持たせる役割を果たしていました。
(ホステス女B役)と言うとこで出演しています。
この番組は、黒柳徹子さんが司会を務めるトーク番組であり、「ホステス女B役」は黒柳徹子さんが演じたドラマパートの役柄でした。
黒柳徹子さんの演技黒柳徹子さんは、持ち前の明るさとおしゃべり力を活かした演技で、視聴者を魅了しました。
特に、コミカルな役柄を得意としていました。ドラマパートは、黒柳徹子さんの演技力が光るコーナーとして、人気を集めました。「夜の仲間」は、黒柳徹子さんの才能が存分に発揮された番組として、多くの人々に愛されました。司会者としての才能はもちろん、女優としての才能も高い評価を得た番組と言えるでしょう。
黒柳徹子さんは、司会から女優まで色々こなしていました。
ここでは、「ホステスB」という役を務めています。
1961年/28歳「魔法のじゅうたん」 司会
黒柳徹子さん/28歳
「魔法のじゅうたん」 司会
子供向け番組のコーナーから人気になったものです。
アニメーションや当時の最新技術を駆使した映像。
黒柳徹子さんの軽妙な司会と演技子供たちの夢を育む内容
番組の目玉コーナー「魔法のじゅうたん」では、全国の小学生から募集された男女1組ずつがゲストとして登場希望する場所と自分たちの学校を、魔法のじゅうたんに乗って空から訪問するという夢の企画
実際に空を飛ぶわけではなく、ヘリコプターで空撮した映像を駆使して疑似体験。
まるで魔法のじゅうたんに乗っているような臨場感で、日本の各地を旅する
放送当時(1961年の東京タワー周辺)このように上空から、子供達の学校や街を見るのです。
今と違い、上空から自分たちの家や学校が見れることは魔法のようでした。
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1962年/29歳 [映画] 「ちんじゃらじゃら 物語」
黒柳徹子さん/29歳
[映画] 「ちんじゃらじゃら 物語」
パチンコの機械を扱わせたら日本一という釘師(伴淳三郎)が主人公。
その底抜けの人の好さから、女房に逃げられる。
名古屋の市長選挙に立候補させられるなど、てんやわんやの人情喜劇。
パチンコ屋50軒の首をくくらせたというパチプロ“なだれのサブ“(フランキー堺)との丁々発止の戦いが見もの。
黒柳徹子さんは社長秘書役
1961年 – 1964年/28歳-31歳「若い季節」 黒金徹子 役
黒柳徹子さん/28歳-31歳
「若い季節」 黒金徹子 役
[こちらは、映画版です。]
(映画版には、黒柳徹子さんは出演されていません。)
銀座にある2つのライバル化粧品会社、「プランタン化粧品」と「トレビアン化粧品」を舞台に、それぞれの社員たちの恋模様や仕事での奮闘、そしてライバル会社とのコミカルな争いをミュージカル仕立てで描いた作品です。
[ドラマ版]
毎回、色々な方が歌ったりしていました。「ドラマ生番組」です。
ハナ肇とクレイジーキャッツのコメディや、中尾美恵、伊藤ゆかり、園まり、など豪華人気歌手がおりなすミュージカルコメディです。
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1965年/32歳 「夢であいましょう 」1965年度はホステス役(司会)担当
黒柳徹子さん/32歳
「夢であいましょう 」1965年度はホステス役(司会)担当
番組には毎回ごとのテーマが設けられていた。
テーマに沿ったショートコントで進行。
ショートコントの合間に踊り、ジャズ演奏、外国曲の歌唱などを挿入。
歌手のコント出演や、コメディアンの歌唱などの企画は、後続のバラエティショー番組の原型となった。
ショートコントで電話で会話をする黒柳徹子さん。
眠そうに電話に出ると、相手は恋人!びっくりして自分ではないふりをします。
「すぐに呼びます」と言うと
気を取り直し、可愛い声で「はい。わたし」
会話が進むと、「えっ、さっきの人?変わるの」と言い。一人で、二役の電話対応をするコントです。
1966年/33歳 「まんが海賊クイズ」 民放初出演、司会
黒柳徹子さん/33歳
「まんが海賊クイズ」 民放初出演、司会
小学生5人ずつ2チームに分かれて対戦。
チーム名は「おそ松チーム」と「だめ夫チーム」。
海賊船を模した解答席に座ってクイズに挑戦。
前年のパイロット版「まんが海戦クイズ」が好評でレギュラー化。
長い間、NHKで仕事をしてきた黒柳徹子さんの、民放初レギュラー番組
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1966年/33歳 [映画] 喜劇 「駅前漫画」 ミミ子 役
黒柳徹子さん/33歳
[映画] 喜劇 「駅前漫画」 ミミ子 役
駅前新開地で、個性豊かな人々が繰り広げる物語。
主人公のジロー(フランキー堺)は染子(池内淳子)に一目惚れし、猛烈なアプローチを続ける。
週刊誌相手の漫画グループ「サカイ・マンガ・コウボウ」を主宰する。
駅前商店街にコーヒー店「Q」を開店した美人。
そんな中、市会議員の井矢見(中谷清昭)も染子に興味を持つが、染子は童画家の徳之助(森繁久彌)を尊敬している。
染子が尊敬する童画家。
絵描きとして苦悩する由美(大空真弓)は、ある日その才能を開花させる。
発明家の孫作もまた、オバQの成功で名を上げる。ジローは音松と久太郎をモデルにした漫画がヒットし、やがてジローと染子は晴れて結ばれる。商店街も繁盛し、その賑やかさは一層増していく。
イタ子(横山道代)
マスオ(松山英太郎)のそそっかしい(次郎:フランキー堺)弟子。
1968年 – 1971年/35歳-38歳 「クイズ大作戦」 司会
黒柳徹子さん/35歳-38歳
「クイズ大作戦」 司会
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1969年/36歳「わが歌声の高ければ」
黒柳徹子さん/36歳
「わが歌声の高ければ」
昭和初期、九州から夢を抱いて軽演劇の聖地・浅草へと上京した若者がいました。
彼は浅草の舞台で一途に夢と情熱を注ぎ、軽演劇に身を捧げます。
これは、そんな若者の愛と青春の日々を描いた物語です。
1970年 – 1971年/37歳-38歳 「ステージ101」 司会
黒柳徹子さん/37歳-38歳
「ステージ101」 司会
約40名のレギュラー出演の躍動感溢れる歌と踊りが中心。
国内外のメジャーからマイナーまで幅広い音楽を網羅。
番組オリジナルソング「ヤング101の歌」も披露。若者たちのエネルギーと情熱が伝わってくる、見ていて爽快な番組。
どれも、似合ってますね。
約40人の若き才能が織り成す、音楽の祭典!
「ヤング101」は、若き才能が奏でる音楽とパフォーマンスを存分に楽しめる番組でした。
当時流行していた音楽をいち早く紹介し、新しい音楽の才能を発掘する役割も担っていました。
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1970年/37歳 おさな妻 高山(箱崎)由紀子役
黒柳徹子さん/37歳
連続テレビドラマ版「おさな妻」 高山(箱崎)由紀子役
女子高生の玲子(麻田ルミ)は、母親(森光子)と二人で穏やかに暮らしていました。
しかし、突然の母親の死により、彼女の生活は一変します。身寄りを失った玲子は、叔母の家に身を寄せることになります。
新しい環境に慣れるため、玲子は保育園でアルバイトを始めました。
そこで、彼女は母親を亡くした女児まゆみと、その父親誠一(井上孝雄)に出会います。
まゆみは、玲子を母親のように慕い始め、玲子の存在が誠一とまゆみにとって欠かせないものとなっていきます。
そんな中、誠一は玲子にプロポーズします。悩み抜いた末に、玲子は誠一との結婚を決意し、高校生でありながら妻となり、そして母親としての新しい生活をスタートさせるのです。
玲子の新しい人生が幕を開け、彼女は高校生と妻、母親という三つの役割を見事にこなしていきます。
1973年 – 1974年/40歳-41歳「銀座わが町」 篠宮八重 役
黒柳徹子さん/40歳-41歳
「銀座わが町」 篠宮八重 役
銀座を舞台に、天ぷら屋「江戸春」とレストラン「ぎんざ亭」の人々が繰り広げる騒動を描いた1年間のシリーズドラマ。
黒柳徹子さんは、江戸春の親族で脇役ですがたびたび登場します。
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1975年/42歳 「おしゃべり音楽会」 司会
黒柳徹子さん/42歳
「おしゃべり音楽会」
音楽番組「おしゃべり音楽会」は、1975年度に放送された人気番組です。
多くの人々に親しまれている音楽を中心に構成されています。この番組は一流の歌や演奏と、黒柳徹子さんのおしゃべりで構成されており、特に黒柳さんのトークが大きな魅力となっています。
「おしゃべり音楽会」では、広い分野から話題のゲストを招き、楽しく語り合いながら音楽を楽しむという形式をとっています。ゲストは音楽だけでなく、さまざまなジャンルから選ばれ、その多様性が番組の特徴の一つとなっています。
この番組の特徴は、音楽とトークの両方を楽しめる点にあります。
黒柳徹子さんのおしゃべりが番組のハイライトであり、視聴者に親しみやすさと楽しさを提供しています。
また、幅広いジャンルのゲストが出演することで、毎回新しい驚きと発見をもたらしてくれる番組です。
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黒柳徹子の若い頃のカワイイ画像特集
黒柳徹子さんは、日本のテレビ業界で長いキャリアを誇るレジェンド的存在です。
その独特なスタイルとエネルギッシュなキャラクターで、多くの人々に愛され続けています。
そんな黒柳徹子さんの若い頃の姿を、みなさんにご紹介したいと思います。
それでは、黒柳徹子さんの若き日の魅力に溢れる画像の数々をご覧ください。
大変な時代を生きてきたからこそ、平和への願いは身にしみてわかるのですね。
とても可愛くて、お綺麗です。
NHKに入る少し前の、黒柳徹子さん
NHKに入社した頃の、黒柳徹子さん。
若い頃から、綺麗だったんですね。
こちらは、「夢であいましょう」の番組のワンシーンです。
当時のドラマは生放送が主流でした。
演技しているものが、そのままお茶の間に届くのです。
そんなドラマを、8-9本も出演していたそうです。もちろんそれ以外に司会、映画と活躍してます。
撮影の合間に、渥美清さんの鼻の下の長さを計っている黒柳徹子さんです。
お茶目ですね。
若い頃、黒柳徹子さんはスキーもされて、上手に滑っていたそうです。
当時は、今のようなスキーウエアはなかったので、寒かったのではないでしょうかね。
ボウリングのスコアも、良かったと語る黒柳徹子さん。
これは、ストライク!でしょうか・・・パーフェクトでしょうか。
ナイスです。
こんな黒柳徹子さんは、あまり見られないですよね。
タバコを手に持って、頭はリーゼントヘア、決まってますね。
綺麗だから、さまになってしまいます。
43歳で現在の「徹子の部屋」がスタートしました。
これまで一度も、同じ服を着たことがないと言う番組です。しかもその全てが私物です。
若々しくて、綺麗ですね。
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黒柳徹子の若い頃のネットの声
黒柳徹子さんの若い頃の姿は、今でも多くの人々に愛され、称賛されています。彼女の魅力的な写真やエピソードは、SNSを通じて広まり、ファンの間で話題となっています。
特にTwitterでは、彼女の若かりし頃の姿に対する熱いコメントや感想が多く見受けられます。
ここでは、そんなTwitterユーザーたちの声を集めてみました。皆さんの共感や感動の声を一緒に楽しんでください。
黒柳徹子の若い頃、可愛いよね♡ pic.twitter.com/JxFvQgaURp
— 👅✌️ペロ (@spoon_dj_pero) February 4, 2024
徹子の部屋の初回の黒柳徹子さんの若い頃、むちゃくちゃ可愛い‼︎
— いのしかちょう (@koi_inoshishi) September 21, 2019
黒柳徹子さんの若い頃 https://t.co/1CrQPkmXEa
— 彩斗♂ (@ayato_00714) December 29, 2023
黒柳徹子は理想の女性だな
若い頃から可愛いままだし面白いしおしゃれだし— taku (@takuchan28) December 31, 2023
黒柳徹子さんに関連する人物の記事
黒柳徹子さんは、日本のエンターテインメント界で長年にわたって活躍し、特に「ザ・ベストテン」などの歌番組で司会を務め多くの歌手の方と、その絆を深めてきました。
若い頃から持ち前のカリスマ性と才能で多くのファンを魅了し、黒柳徹子さんとも数々の名場面を生み出してきた、歌手の皆さんの記事も合わせてご覧下さい。
プライベートでも仲の良い草笛光子さんの記事もあります。合わせてご覧ください。
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