- 加藤茶 若い頃の伝説エピソード10選
- 伝説エピソード① 小学生の頃市内全部を使ってかくれんぼをした
- 伝説エピソード② 小学生の頃、リンゴを盗んでいたから水泳大会で優勝した。
- 伝説エピソード③ 加藤茶、17歳でスターダスターズの船に乗り込む
- 伝説エピソード④ 運命の折れたスティック:加藤茶、ドラマーへの挑戦
- 伝説エピソード⑤ 加藤茶、チコ菊池との出会いからドリフターズ加入へ
- 伝説エピソード⑥ 1962年、ザ・ドリフターズに加入後、ドリフ分裂して改名する
- 伝説エピソード⑦ 加藤茶、22歳で武道館に立つ!伝説のビートルズ来日公演前座秘話
- 伝説エピソード⑧ 「8時だョ!全員集合」でカリスマ的存在となる
- 伝説エピソード⑨ 加藤茶は全盛期に荒井注と、ドリフを脱退する予定だった
- 伝説エピソード⑩ 加藤茶はコメディアンもドラマーも一流
- 加藤茶の20代の出演作品をプレイバック
- 加藤茶の30代の出演作品をプレイバック
- 加藤茶の若い頃のCM画像特集
- 加藤茶の若い頃のネットの声
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加藤茶 若い頃の伝説エピソード10選
- 小学生の頃、市内全部を使ってかくれんぼをした
- 小学生の頃、リンゴを盗んでいたから水泳大会で優勝した
- 加藤茶、17歳でスターダスターズの船に乗り込む
- 運命の折れたスティック:加藤茶、ドラマーへの挑戦
- 加藤茶、チコ菊池との出会いからドリフターズ加入へ
- 1962年、ザ・ドリフターズに加入後、ドリフ分裂して改名する
- 加藤茶、22歳で武道館に立つ!伝説のビートルズ来日公演前座秘話
- 「8時だョ!全員集合」でカリスマ的存在となる
- 加藤茶は全盛期に荒井注と、ドリフを脱退する予定だった
- 加藤茶はコメディアンもドラマーも一流
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伝説エピソード① 小学生の頃市内全部を使ってかくれんぼをした
1943年東京の世田谷で生まれた加藤茶さん。
東京で育った加藤茶さんは、1945年に2歳で東京の空襲を経験している。
東京にいては危ないと考え、母親の実家の愛知に行くが、お金もなく貧しい生活で1ヶ月も経たないで、父親の実家である福島に疎開したという。
父親の実家も貧乏だった、日本中が貧しい時期だったという。
福島に疎開してすぐに、父親が癌になり入院してしまった。母は加藤茶さんと妹を福島の父の家に預けて働きに出た。そんな加藤さんは、まともな食事もできずに小学校に入るまでは一番辛い時期だったという。
そんな加藤さんですが、遊び方は大胆でした。
僕たち、みんなで集まってかくれんぼをしたんだ。
でも、ただの普通のかくれんぼじゃない。
なんと、市内全体を使った大掛かりなかくれんぼだったんだよ!
一日中見つからなかったこともあって、「もうやめようかな…」なんて弱音を吐いたことも何度もあったね。
冬は雪も深かったから、道路をスケート場にしてみんなで滑ったこともあったよ。
でも、一番の思い出は、バスの後ろにつかまって市内を一周したことかな。
さすがに怒られたけどね。
何回注意しても聞かないから、バンパーに電流を通すようになったんだって。
時代だね(笑)。
でも、手袋をつけてたらまた掴めちゃったんだよ。
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伝説エピソード② 小学生の頃、リンゴを盗んでいたから水泳大会で優勝した。
それから加藤茶さんが、小学3年生頃に母が迎えにきて、母と妹の3人でやっと安心して暮らせたそうです。母親は女手一つで加藤さんと妹を育てました。
生活は貧しく、中学生の頃に加藤さんは新聞配達のアルバイトで家計を支えます。
夜には母親が働きに出るため、加藤さんは妹と自分のお弁当を作るなど、幼いながらも家族を支える責任を担っていました。
加藤茶の意外な才能! 福島で平泳ぎ1位
加藤茶さんは、福島時代に平泳ぎが得意で、中学生の全校水泳大会で自由形に出場しながら、他の選手が全員クロールだったにもかかわらず、見事1位になったという伝説があります。
小学生の頃にしていた「悪さ」で平泳ぎを覚えた!
昔はこんな遊び方ができたんだね。それに、阿武隈川ってすごく綺麗だったんだ。
小学校に入ってから、そこの川で泳ぐことを覚えた加藤さん。
ちょっと悪い考えだったんだけど、川の向こう岸にりんご畑があって、それが欲しくて川を渡っていたという。
川上まで歩いて行って、流されてちょうどいい場所に着くようにして、りんごを2つ(自分と妹の分)を持って戻ってくるのです。それを何回も平泳ぎで繰り返していたら、平泳ぎが驚くほど上達したそうです。
食べることに毎日困っていたから、と語る加藤さん。
川の流れも速くて、毎日必死にりんごを取りに行ったそうです。流れが速いから命懸けだよね。
水泳大会では、プールは水が流れてないから簡単だったと語ってます。
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伝説エピソード③ 加藤茶、17歳でスターダスターズの船に乗り込む
17歳という若さで、加藤茶さんは夢を追いかけて東京へと旅立ちます。活気に満ち溢れた60年代、東京の圧倒的なパワーは、彼の心を大きく揺さぶります。
「東京のパワーがものすごかったんだ。何かすごいことが起こりそうな、ワクワクするような」という空気が、加藤茶さんには感じたという。
このまま田舎で平凡な日々を送るなんて、退屈すぎる。そう考えた加藤茶さんは、おばさんの家に身を寄せながらも、強い意志を持って仕事を探します。そして運命の出会いが訪れます。
「渡辺弘とスターダスターズ」のバンドボーイという、夢への第一歩を踏み出すチャンスが目の前に現れたのです。
高校は2年で中退という選択も、彼にとって必然でした。
「高校を卒業してから来い」という忠告もありましたが、バンドボーイの仕事がなくなってしまうかもしれないという不安が、彼を突き動かしました。
こうして、加藤茶さんは17歳という若さで、スターダスターズの船に乗り込み、夢と希望に満ちた未来へと漕ぎ出して行くのです。
トロンボーン奏者を目指して「渡辺弘とスターダスターズ」のバンドボーイに就いた加藤茶さん。
加藤茶さんはこの時に、バンドの付き人として24人分の楽器を運んだり、メンバーの水やご飯を頼んだりと一人でせっせと動いていました。それはいつか自分も楽器を演奏するという夢があったからできたと語っています。
伝説エピソード④ 運命の折れたスティック:加藤茶、ドラマーへの挑戦
バンドボーイとして新たな一歩を踏み出した加藤茶さんを待っていたのは、運命の出会いでした。
「本当は、華麗な音色を奏でるトロンボーンこそが、僕の夢だった。」
高額で容易に入手できないことが分かり、加藤さんはドラマーに転向します。
しかし、月5000円という給料では、その夢は叶うべくもない。そんなある日、ドラムさんが『坊や、この壊れたスティックは捨ててくれよ』と、折れたスティックを渡された。
捨てられるはずだったスティックを手に取った瞬間、加藤茶さんの心に稲妻が走る。「先を削れば、きっと使えるはずだ!」
こうして、彼はドラムの練習に没頭し始めます。膝の上、机の上、雑巾を敷いた床…限られた環境の中でも、彼の熱意は決して冷めません。場所を選ばないドラムは、彼の夢を力強く後押しする存在となったのです。
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伝説エピソード⑤ 加藤茶、チコ菊池との出会いからドリフターズ加入へ
加藤茶さんのドラマーとしての才能が開花したのは、伝説的なドラマー、チコ菊池さんとの出会いでした。
「俺が教えてやるよ」という力強い言葉に背中を押され、加藤茶さんは赤坂のコパカバーナというクラブで、連日2時間のマンツーマンレッスンを受け始めます。
赤坂の高級ナイトクラブ「コパカバーナ」で空いた時間にドラムの練習をしていた加藤茶さん。
当時、17歳の加藤さんには、驚きの世界だったという。
10日間という限られた期間の中で、チコ菊池さんは加藤茶さんに惜しみなく自身の技術を伝授しました。
「杉原淳とイースト・サウンズ」のドラムを担当していたチコ菊池さん。
その結果、加藤茶さんは見事に目標を達成し、チコ菊池さんのお兄さんがリーダーを務めるバンドのメンバーに加入します。 しかし、ある日マネージャーに催促したところ、100円を投げつけられたことで喧嘩になり、クビになってしまいます。
次に入ったのが1961年、加藤茶さんはドラマーとして「永田五郎とクレイジーウエスト」にメンバー入りし、仲本コージ(後の仲本工事)と出会います。ロックバンドで腕を磨き、米軍キャンプなどを精力的に回りました。
その時に友人に誘われて新宿のジャズ喫茶に行きました。
ジャズ喫茶で仲本工事さんが歌ったところ、アルバイトとして雇われることになり、そこでクレイジーウエストのメンバーだった加藤茶さんと出会い仲本工事さんもまた人生を変えることになります。
そして運命の転機が訪れます。「そこそこ叩けるドラムがいるぞ」という噂を聞きつけたドリフターズからスカウトを受け、加藤茶さんは晴れてドリフターズのメンバーとなるのです。
当時のドリフターズの給料は月15,000円。決して高額ではありませんでしたが、加藤茶さんにとっては夢への第一歩であり、新たなステージへの挑戦でした。
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伝説エピソード⑥ 1962年、ザ・ドリフターズに加入後、ドリフ分裂して改名する
1962年/19歳、加藤茶さんは「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」のメンバーに加入しました。
当時のドリフターズはすでに人気があり、リーダーは桜井輝夫さんでコントを組み入れた歌と笑いでお客さんも集まっていて、仕事も多かった。
ジャズ喫茶での仕事が多く、ドラムをたたきながら、後ろからコントを見て、いつか自分もやってみたいと思ったそうです。
19歳の加藤茶さんは、当時はお笑いよりもドラムの練習に夢中だったという。
しかし、 1964年、ドリフ分裂。
いかりやとともにドリフに残留した加藤茶さん。
そこに、他のバンドで活躍していた「高木ブー」クレイジー・ウエストで、ピアノを担当していた「荒井注」も加わり再開した「仲本工事」が入ってよく知られているあの伝説のドリフターズが誕生しました。
新生ドリフ活動開始直後、ハナ肇から芸名を「加藤茶」に変更するようアドバイスを受け、現在の芸名となりました。
この時に、メンバー全員の芸名を付けてくれたそうです。
加藤は、カトちゃんと呼ばれているから「加藤茶」お茶は水。
碇矢は碇が水に関係してるからひらがなで「いかりや」でいい。
荒井は顔が危険な顔だから「荒井注」注はさんずいで水だ。
高木は見たまま「高木ブー」ブタはキレイ好きだから水で掃除する。
仲本は工事中の工事「仲本工事」セメントは水で混ぜる。
というわけで、みんなこじ付けで、水に関わる名前がついた。
初めは、しっくりこなかったが、売れてきたらこの名前を皆んな気に入っていたという。
伝説エピソード⑦ 加藤茶、22歳で武道館に立つ!伝説のビートルズ来日公演前座秘話
1960年代、日本は音楽史に新たな時代を刻む、ロックンロール旋風に沸いていました。そんな中、海を渡ってやってきたのが、イギリスの若き天才たち、ビートルズです。
1966年、東京武道館。 音楽史に燦然と輝く伝説のステージに、一人の若者が立つ。
その名は、加藤茶。当時23歳、まだ無名だった彼は、ザ・ドリフターズのメンバーとして、ビートルズの前座を務めるという大役を担っていました。
夢のような舞台、しかし目の前に立ちはだかるのは、圧倒的な人気を誇るビートルズと、熱狂的なファンたち。
その熱狂ぶりはすさまじく、チケットは瞬く間に売り切れ、武道館周辺は熱狂的なファンでごったがえしていました。
そして、運命のいたずらのように、ザ・ドリフターズはこの歴史的な公演の前座を務めることになります。これは千載一遇のチャンスであり、同時に大きなプレッシャーでもありました。
当時のドリフは、新体制で活動して1年半くらいの時だった。ジャズ喫茶では人気者になっていたが、世間的には、まだまだ無名という感じでした。
1966年6月29日~7月3日までの来日公演で、ビートルズはデビュー4年目の絶頂期だった。
日本で、問題があってはいけないとアリーナ席は観客を入れずにステージがセットされ、そのステージは誰かが登ったら、直ぐに対応できるよう2階席の高さまであった。
機動隊も配置された。あの日、日本中がその前座を務めたドリフターズを見たことになる。
「とにかく、ビートルズと同じステージに立てることが夢のようだった。でも、同時に、こんな僕たちが彼らの前座を務めるなんて、とんでもない話だとも思った。」
そう語る加藤茶さんは、当時の心境をこう振り返ります。
「とにかく、自分たちの持ちネタで精一杯やるしかない。そう思った。」
そして、彼らは持ち前のコミカルな演奏とトークで、観客を笑わせようとしました。
この武道館での経験は、ザ・ドリフターズにとって大きな自信となり、その後の飛躍のきっかけとなりました。そして、加藤茶さんにとっても、かけがえのない財産となったのです。
23歳という若さで、夢のような舞台に立った加藤茶さん。
今世紀最初で最後の公演ということで、日本中が注目した。
加藤茶という男の、伝説の物語は始まったばかりです。
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伝説エピソード⑧ 「8時だョ!全員集合」でカリスマ的存在となる
国民的スターへ:当時の圧倒的な人気と魅力
1969年より『8時だョ!全員集合』で様々な一発芸をヒットさせた。
なかでも「ちょっとだけヨ」は大ブレイク。小学生の間でカリスマ的存在となります。 独自のギャグセンスで多くのギャグを生み出した。
圧倒的な視聴率と知名度
番組は最高視聴率50.5%を記録し、国民の半分が見ていたことになるお化け番組となった。
そして、16年もの長い間続いた。
いかりやさんの「8時だよ!」の呼びかけで客席に並んだ4人のメンバーと会場のお客さんが「全員集合」と言い、4人は舞台に上がり番組が始まる。
公開生放送のため、数々のハプニングもあり、そこがまた面白く人気でもあった。
オープニングの際に、電気が落ちたこともありました。
加藤茶さんの知名度は全国区となり、老若男女問わず多くの人々に愛されました。
キャラクター像とギャグ
個性的なキャラクター像と、コミカルな動きや表情で観客を魅了しました。
「ちょっとだけよ〜」、「あんたも好きね〜」などのギャグフレーズは、国民の誰もが知るほどの大流行となりました。
「加トちゃんぺ」「1、2、3、4、やったぜ加トちゃん!ぐるりと回ってウンコチンチン」など、加藤茶さんは数々のギャグを生み出し、多くの人々を笑わせ、「8時だョ!全員集合」を見ないと次の日に学校の話題についていけないほどでした。
1972年に初めて公開された「ちょとだけよ」「あんたも好きね」は一大ブームを巻き起こした。
加藤茶さんは国民的な人気を博し、コメディアンとして確固たる地位を築きました。
伝説エピソード⑨ 加藤茶は全盛期に荒井注と、ドリフを脱退する予定だった
1974年、荒井注さんと二人でドリフの脱退を予定していた。
しかし荒井さんが先に申し出をしてしまったので、加藤さんはやめられなくなった。
加藤茶さんは志村けんを新メンバーに推薦し願いが叶い、志村さんが新メンバーとなる。
加藤茶さんと志村けんさんは「加トちゃんケンちゃん」と呼ばれる人気コンビとなり、多くの笑いを生み出しました。
志村けんさんと息の合ったコントは、ドリフターズの代名詞となりました。「加トちゃんケンちゃん」のコンビは、日本のTVに名を残す最強コンビとして、多くの人々を笑わせ続けました。
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伝説エピソード⑩ 加藤茶はコメディアンもドラマーも一流
いかりや長介さんは著書『だめだこりゃ』で、加藤茶さんの「笑いを誘う間」や「ミュージシャンとしての才能」を高く評価しています。
加藤茶さんは、コメディアンとしてだけでなく、ドラマーとしての才能も一流でした。『全員集合』での西城秀樹とのドラムバトルは伝説的なエピソードとして語り継がれています。
また、映画「ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!」では、長尺ドラム・ソロを披露し、その実力を遺憾なく発揮しました。
加藤茶さんのリズム感は、コメディアンとしての活動にも活かされており、絶妙な間合いで観客を笑わせてきました。
加藤茶の20代の出演作品をプレイバック
加藤茶さんといえば、国民的コメディアン集団「ドリフターズ」のメンバーとして、長年にわたりお茶の間を笑わせてきたレジェンドです。しかし、その華やかな活躍の裏には、苦難と努力に満ちた青春時代がありました。
20代という多感な時期、加藤茶さんはどのような作品に出演し、どのような経験を積み重ねてきたのでしょう。一気に見ていきましょう。
1965年/22歳 「日本一のゴマすり男」
1966年/23歳 「逢いたくて逢いたくて」
1967年/24歳 「夢は夜ひらく」
1967年/24歳 「幕末てなもんや大騒動」
1967年/24歳 「喜劇 大風呂敷」
1967年/24歳 「なにはなくとも全員集合!!」
1967年/24歳 「ドリフターズですよ!前進前進また前進」
1968年/25歳 「やればやれるぜ全員集合!!」
1968年/25歳 「ドリフターズですよ!盗って盗って盗りまくれ」
1968年/25歳 「ドリフターズですよ!冒険冒険また冒険」
1968年/25歳 「クレージーメキシコ大作戦」
1968年/25歳 「日本一の裏切り男」
1969年/26歳 「クレージーのぶちゃむくれ大発見」
1970年/27歳 「日本一のワルノリ男」
1971年/28歳 「だまされて貰います」
1971年/28歳 「日本一のショック男」
1969年/26歳 「ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓」
1969年/26歳 「ドリフターズですよ!全員突撃」
1969年/26歳 「いい湯だな全員集合!!」
1969年/26歳 「ミヨちゃんのためなら全員集合!!」
1970年/27歳 「ズンドコズンドコ全員集合!!」
1970年/27歳 「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」
1971年/28歳 「ツンツン節だよ全員集合!!」
1971年/28歳 「春だドリフだ全員集合!!」
1972年/29歳 「祭りだお化けだ全員集合!!」
1972年/29歳 「舞妓はんだよ全員集合!!」
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加藤茶の30代の出演作品をプレイバック
1973年、加藤茶さん30歳。 ザ・ドリフターズの人気絶頂期を迎え、日本を代表するコメディアンとして活躍していた彼は、まさに脂の乗り切った黄金時代を迎えました。
映画、TV、舞台、CM…加藤茶さんの姿はあらゆるメディアで目に飛び込んできました。 その底抜けの明るさとコミカルな演技は、多くの人々を魅了し、時代を席巻したのです。
そんな加藤茶さんの30代の代表的な出演作品をプレイバック! 当時の彼の活躍ぶりを、鮮やかに蘇らせましょう。
1973年/30歳 「チョットだけョ全員集合!!」
1973年/30歳 「大事件だよ全員集合!!」
1974年/31歳 「超能力だよ全員集合!!」
1974年/31歳 「ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!」
1975年/32歳 「ザ・ドリフターズのカモだ!!御用だ!!」
1975年/32歳 「正義だ!味方だ!全員集合!!」
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加藤茶の若い頃のCM画像特集
はごろも缶詰 「こつぶ」
ロート製薬 「パンシロン内服液」
はごろも缶詰 「ポポロスパゲッティソース」
カトキチ 「冷凍さぬきうどん」
サンヨー食品 「サッポロ一番からくちラーメン」
サンヨー食品 「サッポロ一番うまいもん焼きそば」
サントリー 「冷撰洋酒」
日本パソコン学院 アビバ
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加藤茶の若い頃のネットの声
加藤茶さんの若い頃は、「菅田将暉さんに似ている」「かっこいい」というネットの声が多く上がっています。その一部を紹介します。
若い頃の加藤茶さんが
菅田将暉さんに似てる pic.twitter.com/hr4U435giR— こんな彼氏が好き+人生観、恋愛観 (@konnakareshi) October 19, 2023
加藤茶の若い頃と菅田将暉
やっぱちょっと似てるな… pic.twitter.com/13IXSAJWX3— ORB (@orb_brave) September 4, 2023
今、金スマで加藤茶さんと奥さんが
ゲストで出ていて、若いときの加藤茶さんが菅田くんと似てるって‥‥💕私も前から加藤茶さんの若い頃って
菅田くんにめっちゃ似てる~って思ってた‥😆🌺❣️ pic.twitter.com/W72gFkpMDM— 💞megu💞 (@megu215Love) October 14, 2022
山田くんのドリフ見ながら娘に「加藤茶の若い頃ってイケメンで菅田将暉にそっくりやってんで」と娘に言うと「そんなわけ笑(スマホで検索)えええええっ⁉️∑(゚Д゚)」と、さんまちゃん以上のリアクションをリアルにしてくれたので母は満足です pic.twitter.com/KZxT8IDA5a
— MIKI (@1936_MIKI) December 29, 2021
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加藤茶さんに関連する人物の記事
加藤茶さんは、妻の綾菜さんと「徹子の部屋」に出演しています。
そんな、黒柳徹子さんもまた貧しく揺れ動く日本を、体験された方です。
合わせて、黒柳徹子さんの記事もご覧ください。
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